福島県双葉郡に訪れた

久方ぶりのブログ更新。

先日、25日・26日と仕事で福島を訪れた。
震災後、初めての福島だった。

いわき市内で復興支援ボランティア活動を積極的に行っているNPO法人『ザ・ピープル』さんが一昨年からスタートしている、
「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」
というプロジェクトのお手伝いにお招きいただいて、いわき市に2日間滞在してきた。

ご興味ある方は是非上記のリンク先をご覧頂きたいのだが、簡単にこのプロジェクトを説明するなら、震災による複合的な災害(地震、津波、原発事故、放射能土壌汚染、風評被害)のために困窮・地域経済崩壊の危機にある福島いわきの生産農家の生活環境改善をめざしてスタートした活動で、“食用でなく、塩害に強く、放射性物質の移行係数が低い農作物”綿花をオーガニックで栽培し、収穫されたワタから衣類を製作・販売することで地域に活気と仕事機会を産み出し、ふくしま復興へとつながっていく市民参加型のプロジェクトだ。

当方は、このプロジェクトでの一連の衣類製作の過程で、草木染めによる染色工房の設営と技術指導のお手伝いを担当しているのだが、その工房設営の打ち合わせ及びメンバーとの染色ワークショップの為にいわき市に滞在した今回の訪問の中で、半日だけ原発事故の爪痕が今も残る地域に連れて行ってもらった。

ザ・ピープルさんの代表、吉田恵美子さんのご厚意で連れて行っていただいたのは、いわき市側から(つまり福島第一原発から見て南側から)順に、双葉郡の広野町(ひろのまち)、楢葉町(ならはまち)、富岡町(とみおかまち)の3町。最も原発から遠い広野町は2012年3月に役場機能も現地に戻り住民も帰りつつあるが、楢葉町および富岡町は未だ「緊急時避難準備区域」。すなわち、立ち入ることはできるが夜に泊まってはいけない区域に規制されており、事実上震災以降全くの無人街となったままである。
そして、富岡町の北に隣接し、福島第一原発が立地する大熊町(おおくままち)と双葉町(ふたばまち)は今も「帰宅困難区域」という名の事実上立ち入り禁止区域となっているままである。

南から車で入ると、広野町から楢葉町に入ってすぐのアタリのセブンイレブンが営業している以外は、ガソリンスタンド以外は営業している建物は無い。
吉田さんは仕事柄よくこのあたりを通るらしいが、「このセブンイレブン、こないだまで営業してなかったですよ。根性あるなぁ~【^^】」と感心していた。
そして、唯一OPENしていたセブンイレブンもガソリンスタンドもほぼ全て顧客は原発関係者だ。行きかう車はトラックや作業車が多数占める。

その他には観光バスやマイクロバスが多い。

これは原発関係の従事者や除染従事者(除染に関しては後述)が、空間線量の比較的低い郊外から毎日作業のために送り届けられるための、おそらく東電などが手配している唯一の交通手段となっている。
それと、やたら多いのが警察車両。あちらこちらで駐車警備している。当方も、別に悪いことしてるわけじゃないのだが、写真撮るのにすこしストレスがかかった。すみません、気が弱いです。。

楢葉町あたりから急に多くなるのが、「除染中」という看板と共に作業をしている作業員の方たち。ちょっと後ろめたい気持ちになってしまいて画像を撮れなかった。
除染作業ってどんなことしてるのかと聞くと、放射性物質がかかった表土を剥いで袋詰めにする、という作業とのこと。不勉強で知らなかったのだが、思いのほか単純な作業に少々面食らった。他にも、木々の葉っぱや枝を落とす、草を刈るなども同じく除染作業だそうだ。そして、そうやって刈り取られた土や葉などはすべて真っ黒い大きな袋に詰められていく。
この袋詰めがそうです。

この袋詰めはいわゆる「低レベル放射性廃棄物」となり、当然のことながら普通に処分できるものではなくなる。そして、楢葉町や富岡町をはじめとしたまだ空間線量がそこそこ高いとされている地域で、一定の基準値以上の放射性物質を含んでしまった表土を調べては剥ぎとり、この袋はどんどん増えていっているらしい。

ここは以前地元の広大なスポーツ施設だったそうだが、そこの芝生には点々とオブジェのようにこの黒い袋詰めが鎮座していた。

楢葉町の国道沿いの休耕地を利用した、一大貯蔵地もあった。

奥の黒い部分はもちろんすべてそうだが、手前の緑色のカバーの下も、全てこの黒い廃棄物とのこと。最近、この緑のカバーをかけるのが流行っているらしい、見た感じ少しでもイメージ良くということなんでしょうかね、と吉田さんが言っていた。

富岡町に入り、現在も復旧のめどが立っていないJR常磐線の富岡駅に連れて行ってもらう。
駅前に降りたち風景を見て、唖然とした。恥ずかしい話だが、すこし涙が出てしまった。

なにも、ない。

いや、そんなことはないのだが、目を向けて安心できるようなものがひとつもない。

後からwikiで見つけた震災前の駅舎の画像だ。上のパノラマに比べて少し引いた位置からのアングルと思う。

駅前の中華料理店と思われる店舗の中。

駅から少しだけ離れたところの、波で曲った鉄柱の足元に生え放題の枯草たち。

そして、以前駅前駐車場だったところの奥には、3年近くたった今もまだ自動車がひっくり返り、そして家々は傾き続けている。

この地に在って、ひとつだけ当方が安心したものは、不謹慎だが、駅の横に設置された線量計だった。

シャッタースピードがおかしくてこの画像では数値が正確に表示されていないが、この時の空間線量は
0.38μGy/h
意外と、といっては失礼かもしれないが、思ったよりも低い値だ。
ここに一時間いても、こないだ受けた体内脂肪CTスキャンで浴びた線量の約10000分の1。
なんのなぐさめにもならんし、何の意味もなさないが、そういうことがわかる、というこの検量計に親近感を覚えてしまった。

この駅の更に北は、先ほども言ったように大熊町に入る。この先は原則立ち入り禁止だ。

残念だったが、しかし、正直に言うと少しの安心感と共に南へと帰路につく。
別に威を借りて言うわけではないが、安心したのは、見えない放射線におびえていたからではない。これ以上、非日常の風景を見る用意が自分にできているかどうか不安だったからだ。

富岡駅の惨状の何が怖かったって、それは津波の威力ではない。もちろんそれも怖かったし、それをまざまざと見せつけるだけの悲惨な状態だったが、それよりも怖かったのは、3年間も、あの状況が放置されたままだ、ということだ。少なくとも、昼間はこの地域は入ることができる。しかし、片づけている形跡が少しも全くない。
片づけていないことを非難しているわけではない。しかし、車で15分程度のところに住んでいる方たちが、ここに、片づけや修理に来ようとする意を、この町とこの惨状は完全に打ちのめしてしまっているのだ。
その、異常さが、恐ろしかった。

だから、けなげに働いている線量計に親しみを覚えた当方をお願いだから不謹慎などと思わないようお願いします。

現在は停止中の福島第二原発の横を通り、そして、逆に現在フル稼働している広野の火力発電所の横も通り、いわき市に帰って来た。

いわき市の北部の海岸に、久之浜地区の漁港を中心とした浜町がある。というか、あった。
ここは、震災後すぐの津波で多くの家が海にのまれただけでなくその日に起こった火災のためになんと海岸沿いでは8割がたの建物を失ってしまった。
その後、生き残り、避難が出来た住民の方々の中で、避難先の小学校の一部を使用して、商店街を復興したのだ。
元は浜の町で営んでいた靴屋さんや定食屋さんたちが、今は、小学校の隅のプレハブで頑張っていらっしゃる。

その名も、浜風商店街

吉田さんがNPOでの復興活動からご懇意になられたようで、最後に連れて来て下さった。9軒ほどのこじんまりとした商店街だが、そこに悲壮感は感じなかった。建物の一角には、津波の直後の様子やその後の火災、そして、波と炎にすべてを持っていかれてしまった後の見るも無残な変わり果てた街の様子などが克明に撮影された記録の展示スペースもあるのだが、そこにも不思議とお涙ちょうだいな雰囲気があまり感じられない。
酒屋さんも、靴屋さんも、雑貨屋さんも、定食屋さんも、皆さん、明るい。
ここは、久之浜地区をはじめとする、福島の復興のお手本となっている場所のようだ。

定食屋で特大チャーシューメンを頂いた後での記念写真。

左から浜風商店街の看板店「からすや食堂」の遠藤さんご夫妻、そして、今回大変お世話になった、ザ・ピープル代表の吉田恵美子さん。
皆さん、素晴らしい笑顔です。本当にお元気です。

その後、メンバーの皆さんとお会いして、染色の話しやモノ作りと販売に関する話、工房設置の話し、そして染め体験ワークショップをさせて頂き、有意義な2日間を過ごさせて頂いた。

吉田さんと2日ずっとご一緒させてもらって、ひとつ気付いたのは、彼女が、自治体や国、そして東電などへの恨み文句はもちろん、批判めいた言葉を一つも(本当に一回も)口から出されなかったことだ。メンバーの方たちからもあからさまな言葉は出てこなかった。

別に、当方が原発に対してどのような態度を取っているのか、とか、政治的指向がどうなのか、とか、そういうことを気にされて、という雰囲気でもなく、ごく自然に、そういった話にはならなかった。

その理由はついぞ窺う機会が無かったのだが、勝手に想像するに、
「そんな文句言ってるヒマがない」
というところなのではないか、と。

皆さん本当にお忙しく動かれていて、主婦の方やお仕事を兼任されている方も時間を見つけては活動をされている。

震災、津波、そして原発事故と、多重災害によってその爪痕はそこかしこ、あちらこちらにまんべんなく散らばっている。今回、いろいろな場所に行って話を聞いて改めてそう感じた。
線量が高い低い、除染作業がどうのこうの、どこの食べ物は体内被曝に多大なる影響が・・、といった一元的な事故処理問題のような単純なものではないことが、ご存じのように、いや、現地で住んではいない当方には全く想像もしなかったような細かい問題まで、あちらこちらにある。

例えば、地元に帰れるようになった広野町での、帰る家族と帰らない家族の確執。帰らない家族の中でも仮設住宅からマイクロバスで地元小学校に通う小学生と仮設移転先の小学校に通うままの小学生たちとの確執。復興の成功事例とされている浜風商店街での、商店街に入らない選択をした方たちとの確執。ボランティアで来た学生と地元の学生とのいざこざ。同じ復興活動をしている地域内での、原発従事家族ととそうでない人家族との行き違い・・・。

ヒトと事故が接する所に必ずトラブルが起こっている。そういうことのようだ。どうも。左を見ても、右を見ても、どこを見てもトラブルだらけ。それをいちいち「政治が悪い」「自治体の対応が遅い」と挙げへつらうだけでは、何も解決されない。そう、体で皆さんは感じている。そんな感じがした。

もちろん事故が悪い。確かに、「原発さえなければ・・・」という遺恨が、あちらこちらのトラブルに糊付けシールでべたべた貼られている。

だが、現場で復興を真剣に考えている人たちは、そのシールを指さして文句を言っても何も変わらないことを知っている。それは他人に任せて、近くで何かできる人間はとにかく動く。そう考えておられるように思えてならない。

浜風商店街の皆さんが元気なのもそう。吉田さん達がびっくりするくらいバイタリティにあふれているのもそう。

間違いなく、福島でも、いわきでも、広野でも、久之浜でも、たくさんのたくさんの人たちが生きて生活して、今この時間にも何らかの営みをしている。そこでは常に何かが起き、何かが変わり、何かがぶつかる。そして、それに対応するべく、また人が動く。

やはり、福島は「フクシマ」ではない。
福島は、福島だ。

当方は当方なりに、福島のいわきの人たちがスムーズに動けるようお手伝いをします。甚だ微力ではございますが。

まずは、東北で一番オモロイ草木染め工房の完成を目指して!

手染メ屋
http://www.tezomeya.com/

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