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ロックで世界は変わるのか? ~その1

久々のブログ。しかも、突然大上段なネタ。
たぶん長くなると思います。っていうか、1回で終わりませんでした。何回かシリーズ。
例のごとく仕事と全く関係なし。お暇な人だけお付き合いください。

今年のフジロックにSEALDsのリーダーの出演が決まったことに対しての「音楽に政治を持ち込むな!」というまとめサイトシェアをここ数日facebookで何度か目にした。
で、そのまとめサイトのシェアの仕方が「そうだそうだ」というのもあれば「そもそもロックに思想の主張はつきものでしょ」ってのもある。facebookやってる人なら何度か目にしたんじゃないかと思います。
で、ある友人も後者系統のコメント付きでシェアをしてて、そこにコメント残した。だいぶ長めだったけど。

俺(今回はロックっぽくこの一人称でいきます)はロックが大好きです。でも、政治色や思想がこんもり入ったロックは好きじゃないです。かといってお涙ちょうだいな悲恋や同情を強要する愛の唄ばかりが好きってわけでもないけど。
正確に言うと、政治的言動や思想が込められてるだけでつまんない音楽は良いもなく悪いもなく何とも思わないんだけど、それが思想ありきで評価される状態になってしまうと嫌悪を覚える。もしくは、すげーカッコいい曲でその歌詞や背景に反体制思想や政治色が入ってて、その部分をことさらに取り上げてその反体制側のスローガンっぽくなってるのとかを見ると嫌な気分になる。

そんなことをそれほどけんか腰じゃないつもりでその人のタイムラインにコメントしたんだけど、書き方悪かったのと言葉たらず(って言ってもだいぶ長々書いちゃったけど)も手伝って不穏なことになってしまったのでしっぽを巻いて逃げてきた。

その不穏なやり取りの中で、その気分を害されてしまった人に「そんな主義主張があるんなら他人のタイムラインで書いてないで自分のとこで書いたら」と言われた。

俺のfacebookとのお付き合い方法は完全に仕事の延長線上の宣伝ツールとして、だ。だから仕事にいい印象を与えないことには首を突っ込まないことにしてる。ただ、ときどきやっちゃう。人のタイムラインとかで。今回もそれだ。ほんと、その人に対してすげー失礼だ。もうしわけありませんでした。

で、今回いい機会なので、自分の考えを整理する意味でも、このブログで俺のつたないロック観をまとめてみようと思う。長くなると思う。ホント暇な人だけお付き合いください。

 

「ロックはぶちこわしなんだよ」、「ぶっこわせなきゃロックじゃねーよ」、「言いたいことねーんだったらロックなんかすんなよ!」
これ、学生の頃飲みながら言われたことあるフレーズだ。
プロでもなんでもないけど(一時期少しカネもらえたことはあったけど)、高校2年から49の初老に差し掛かる今まで結局俺はずっとバンドやってる。パートは唄。なんちゃってレベルだけどロックはやるのも聴くのも好きです。聴いてる分量そんなたいしたことないけど好きなジャンルはそれなりに聴いてる方かもと思う。もちろん上には上がいるし結局たぶん聴いたアルバム1000枚には届かないしたいしたことないけど。
で、そのなんちゃっての中でも特にメタルとパンク~ニューウェーブはかなり弱い。超メジャーなアルバムしか聴いてない。
で、ロック=ぶち壊し の主題としてよく出てくるパンクを通ってないのもあってだろうと思うけど、それなりにちゃんとバンドやり始めた大学の頃から、壊れてるのがカッコいい、っていう感覚がよくわからなかった。好きなミュージシャンに壊れてそうな人は多かったし、若気の至りで壊れたらかっこよくなるんじゃねーかとか思ってカッコつけて壊れてみようと努力(笑)してみたりしたこともあったけど、結局 “壊れてるからロックだ!” ってのがわからなかった。後でいうけどこれは今でもそう思ってる。
学生のころに言われたさっきのフレーズは、当時RCサクセションのコピーをやってた別のバンドの年上ギタリストから言われた言葉だ。今でも覚えてるよ。確かにその先輩のギターはあの頃かっこよかった。大学生なのに335をぐでんぐでんに弾いてた。確かに酒飲むと壊れる人だった。
でもね、その壊れ方って、いわゆる“クレイジーなギタリスト”的な壊れ方なんだよね。あの頃もぼんやり思ってたけど、更に大人になって思い返してみると、とってもステレオタイプな壊れ方だったんだあれ。で、そんな壊れ方できない弱っちい俺に、“クレイジーなギタリスト”的にいちゃもん付けてたんだろーななんて思うんだわ。

結局そのころからぼんやりと ロック⇒壊れてる⇒かっこいい っていう三段論法が良く理解できなくて、
「カッコいいロック」⇒「壊れてることが多い」 or 「カッコいいロック」⇒「壊れてるミュージシャンがやってることが多い」 っていうだけなんじゃないかと思ってた。

ここでちょっと宣伝。今でもやってるうちのおっさんバンドです。「青いまほろば」っていいます。今年の4月に京都の拾得でやったライブのアコギタイムの一曲です。たぶん秋にもまた拾得でライブします。これはfacebookでお知らせしますのでもしよかったら遊びに来てくらはい。いっとくけど、全然壊れてないよ。ふつうのおっさんバンドです。かっこよくないかもですごめん。

 

今年のフジロックにSEALDsのリーダーさんが来るって話。別にそれ自体は全然悪いことじゃないと思ってる。フジロックに行ったことない自分が偉そうなこと言えないけど、だって、昔からそういうのあったんだよねフジロックって。たしか田原総一朗が来た年もむかしあったんだよね。ロックバンドだけじゃなくて話題の政治評論家から電撃ネットワークまで何でもござれ。いろんな刺激を自然と一緒に。そういう感じなんだよねたぶんフジロックって。行ったことないからわかんないけど。更に個人的にはSEALDsのリーダーが言ってることにはあまり賛同できないけど(たまにいいこと言ってるなと思うこともあるけど)。
でもSEALDsのネームバリューやその活動のインパクトが強いからなんだろうけど、今年はなんかそれがことさら話題になってロックに政治を持ち込むなって話になって、それに対抗してロックに反体制はつきものだってのもあって、話題になってるわけで、その是非はおいておいてSEALDsってすごいなと思うわ。こんな全然関係ないおっさんにもロックと反体制の考察をさせる話題作りをしてくれるんだから

確かに、ロックと反体制的な思想とは切っても切れない縁になってしまっていることは認めます。でも、さっきも言ったけど、思想や政治的主張がことさら取り上げられてしまう状況のロックは嫌だ。
それは、そこに思考停止的な、型にはめられた画一的なプロパガンダ的洗脳思想を感じてしまうから。

もう一度言うけど、ロックと反体制には密接な関係があるのはもちろんだ。でも、反体制的な考えがロックを生んだのでは断じてないと思ってる。
先にロックがあったんだと思ってる。ロックがロックたらしめる時代を少し過ぎた1967年生まれの自分にとってそれは決して肌で感じることはできないし、結局は書物や記録やレコードからでしか追うことができないけど、自分の知ってる限りでこのあたりをちゃんと考察してみたいと思う。

どっから話をしよう。。ブルースからかな。あ、そうそう。こんなのこんなとこでちゃらっと話すだけで終わるような薄っぺらいもんじゃないのは百万も承知だし、俺なんかよりももっとちゃんと話してくれる人それこそ百万人以上いると思うんだけど、ここは個人のアマチュアのただのブログだってことで許してください。

1600年代から随時アフリカから奴隷としてアメリカ大陸に連れてこられた黒人達は、1862年の南北戦争中に発せられたリンカーンの奴隷解放宣言を受けてもそれでも職もなければ土地もないし教育も受けられなくて結局白人農場の小作人として虐げられ続けるわけだけど、解放宣言で一応人間扱いされるようになって教会に行けるようになった彼らはそこで聖書の教えと聖歌を学ぶんだよね。で、彼らは独自のセンスで白人の聖歌とはリズムとノリの違うゴスペルをつくっちゃうんだよねそこで。
聖歌ってあたりまえだけどキリスト宗教歌なわけです。そこから生まれたゴスペルも宗教歌。内容はどれも主イエスをたたえる内容だったり救済を願う内容だったり。今は苦しいけどいつか救われる時が来る、それは死ぬ時かもしれないけど、死して天国に行くことを夢見よう、主イエスを信じていれば天国に導いてくれる。そういう歌。有名なAmazing Graceもそんな歌です。月曜から土曜まで死ぬほど働かされるけど、日曜日は教会に行って救済唄ゴスペルを大声で歌ってうさを晴らす・・・。
23歳の夏にグレイハウンドバスで二カ月アメリカ回ってた時にNYの110丁目くらいの黒人の教会にもぐりこませてもらえてそこで生のゴスペルを聴いたときに、あの音圧とグルーブとそのあまりのかっこよさにおしっこちびったの今でも覚えてる。もちろんその時聴いた黒人たちはもう奴隷じゃないしまっとうな職に就いてる人たちもいただろうと思けど、それでもやっぱりあの時代でもちゃんと区別は残ってて、彼らは彼らだけの時と場所を共有してて、そこの空気はすごかった。ちなみに、自分の知る限り日本人には彼ら寛容だった。バス旅行で仲良くなってその教会に連れてってくれた黒人の兄ちゃんに聞いたんだけど、色は違うけどおれらはおなじcolored peopleなんだって。まぁ時々聞く話だけどね。
話し戻します。ゴスペルが憂さ晴らしだった彼らのなかでも、いやいや、もっと毎日憂さ晴らししたいじゃん、ってやつが出てくる。教会で使ってるギターを借りてきて平日の仕事終わりのバーでの安酒飲みながら歌うやつがでてくるんだよね。ゴスペルも嫌いじゃないけど、日曜じゃないしここは教会じゃないんだからイエスさんには休んでおいてもらってさ、可愛いあの娘の唄でも歌わせてくれよ。死んだあとの話は教会に任せてさ、今夜くらいはオレの女房のこと自慢させてくれよなんせあいつオレにぞっこんなんだからよぉ・・。そんな感じでブルースが生まれるんだよね。
チャーリーパットン、ロバートジョンソン、レッドベリー、ブラインドレモンジェファーソン、サンハウス、ちょっと時代は下るけど大好きなサニーボーイウィリアムソンⅠとビッグジョーウィリアムズ、ピアノだったらリロイカー、みんな女の唄ばっか。もちろん酒の唄もあれば神様や悪魔が出てくる歌もあるよ。でも、圧倒的に女の色恋沙汰の歌詞が多いです。それはさっきも言ったけど、ゴスペルの主題を避けたいからで、そうするとあの時代の小作人には色恋沙汰しかなかったんだろうと思うんです。これがいまだに続いてて、ロックやポップスが色恋沙汰だらけなのはこの名残だよねたぶん。

なんだけど、1910~1920年代にブルースが巷で生まれるのと同じ時期かも少し前から、もう黒人のプロミュージシャンが生まれてます。たとえば、マ・レイニーやベッシー・スミス。そして、ルイ・アームストロング。マ・レイニーの出自は知らないんだけど、ベッシー・スミスはバックダンサーとして当時の移動小屋ショーに雇われたときにマ・レイニーに見出されたらしいし、サッチモ(ルイ・アームストロングの愛称)は刑務所のビッグバンドでコルネットを吹き始めて見出されたらしいです。このころの黒人職業音楽家は全て白人のための見世物。当時の白人は黒人を同等の人間として扱ってなかったので、彼らが楽器をうまく使うこと自体が面白かったんでしょう(中にはちゃんと音楽として楽しんでた人もいたんだろうけど)。
この時代、ニューオリンズやメンフィス中心に白人相手の黒人演奏見世物小屋が多かったらしくて(ブルースも結局その見世物の一つになった)、バンド形式としての見世物“ジャグバンド”(洗濯板を金属のフィンガーピックでざらざら鳴らすウォッシュボード、洗濯桶にモップ挿して弦を張ったウォッシュタブベース、カズー、ウィスキーの瓶が楽器、後にバンジョーなんかも入るけど)なんかを見せるライブがあったらしい。さっきのマレイニーやベッシー・スミスはそんな見世物小屋ショー出身だし、ここからニューオリンズジャズのもとが生まれるらしいです。
で、この黒人職業音楽家の中からのちに多くのビッグネームを輩出するのがニューヨークの“Cotton Club”。かなり昔だけどコッポラ監督で映画にもなったから知ってる人もいるよね。確か主演がトランペット吹きのリチャードギア。個人的にはあの映画でのトムウェイツのふざけた司会役ぶりが大好きでした。
名前からして南部のイメージ満載の高級見世物小屋だったコットンクラブ。ここでは既に南部でメジャーになってたサッチモも演奏してたらしいけど、ここでデビューしてメジャーになった筆頭はデュークエリントン楽団、そしてキャブキャロウェイ。このあたりのノリがのちのジャズになってくんだよねたぶん。

戦後の40年代にジャズはビッグバンドから今の小編成に、ブルースは南から北に移って電気を通してドラムとベースとギターと唄のバンド編成に変わっていく。そこで、小編成のジャズと電気を通したブルースのノリや楽器を取り入れて、ゴスペルを唄ってたボーカルを歌い手にして出てきた流行黒人音楽がリズムアンドブルース。大好きなサムクック(この人の声に生まれてたら世界征服できたんじゃないかと思ってる)やアレサフランクリン、レイチャールズ・・。オーティスやウィルソンピケットなんかもこの時代のリズムアンドブルース(っていうかソウル)の立役者ですね。
シンプルでノリの良いリズムと彼らの唄声が当時のアメリカのダンスミュージックとしてはやり始める。そこから、更にアップテンポにして電気を通した楽器をかき鳴らすのが、リトルリチャードやチャックベリー。南部では独特のテンポのプロフェッサーロングヘアとかファッツドミノとか。この時代にrock’n rollって名前が生まれたらしいっす。もともとこの言葉は黒人の間でsexのニュアンスを指したスラングらしくて、まぁ、にゃんにゃん(古っ!)とか、“えっち”とか、そういう感じだったんでしょたぶん。なんだけど、当時のオハイオの名物白人ラジオDJアラン・フリードがノリの良いリトルリチャードとかレイチャールズなんかの曲の紹介に使い始めて主に白人社会で言葉自体が広まります。黒人の間ではメジャーなスラングでも白人は知らないからね。で、若い白人には黒人文化がかっこよかったんだよね。このあたり、映画のヘアスプレーなんかでも出てくるよね。あれ、舞台がペンシルバニアだったっけ。アランフリードはペンシルバニアでもDJしてたらしいです。(ごめん後で調べたらヘアスプレーの舞台はボルチモアでしたm(__)m)
で、このrock’n rollに感化されてそれにちょっとカントリーウェスタン色取りまぜたりして出てくるのがエルヴィスプレスリーやエディコクランやバディホリーだよね。あ、あとジェリーリールイス。このあたりの白人ミュージシャンが、黒人が種をまいて育ててくれてたrock’n rollを本格的に広くそして深く白人若人に浸透させるわけですね。
かつての名門レーベルChess Recordの栄枯盛衰を描いた映画「キャデラックレコード」なんかを見てると出てくるんだけど、黒人がやってる音楽を好きな若い白人ってまだマニアックな扱いされてたみたい。それでもChessは最初のうちは十分儲かったみたいだけど。
でもそれをメジャーに引き上げたのは、やっぱりエルヴィスたちなんだよね。彼のハワイのライブで女の子たちがキャーキャー言うシーン見たことある人も多いと思うけど、彼らの人気が後のロックの栄光獲得につながるんだよね。一部のマニア受けだけだったら今みたいになってなかったと思います個人的に。
で、リズムアンドブルースやrock’n rollをわくわくして聴いてたティーンエイジャーが現地アメリカや大西洋を隔てたイギリスに現れます。米国内ではボブディランやジョーンバエズ、で遠くイギリスでは古くからブルース好きだったアレクシスコーナーやその弟子ジョンメイオール、そしてわくわくしてアメリカの黒人音楽にあこがれ続けたティーンエイジャーがそのままビートルズやストーンズやヤードバーズになります。
ボブディランやジョーンバエズはもちろん先駆者のウッディガスリーやピートシーガー、ジョンハモンドなんかの薫陶も受けてて、特にホント初期のニューポートフォークフェスで一世を風靡するまでピートシーガーの反骨風刺思想をそのまま受け継いでたディランもそのまま社会風刺の唄が多いです。
この、いま言った60年代の後々メジャーになる白人ミュージシャンには社会的な傾向があります。それは大学進学組が多いこと。現在と大学の位置づけが違う50~60年代に大学を目指すってのはそれなりのブルジョアでしょう。そういった、比較的社会的地位が高い人間がわざわざミュージシャンになるわけです。これはもう親や身内の反発くらうよね。いまよりも。なんせギター持ってるだけで不良だったわけだし(それは日本か)。

この、60年代のアメリカとイギリス(特にイギリス)のブルジョア白人ティーンエイジャーのrock’n rollが、後に呼び方を縮められて”Rock”と呼ばれるようになるんだよね。
そこからはもう百花繚乱。魑魅魍魎のごとく増殖枝分かれしていくわけ。

・・・全然主義主張言えてないけど、もうさすがに眠いので今日はここまでにします。これ、あといくつつづくかなぁ。
続き頑張って書きます。

 

⇒その2はこちら!

 

 

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