カンボジアの染織取材その3 ~ブノン族の腰機

 

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カンボジアと言えば、プノンペンを流れるカンボジアの象徴的河川であるメコン川や、シェムリアップの南部に横たわる広大なトンレサップ湖など、雄大な緩流によってつくられた大平野が国土のほとんどを占めている、というイメージです。

ですが、東北部には山岳地帯もあります。ラオス・ベトナムとの三つ巴国境から北に延びるアンナン山脈につながる標高700m前後の高原地帯、モンドルキリ地方は、シェムリアップから陸路で2日。こちらの地域にも2泊滞在し、この地方に今も住まう山岳少数民族のひとつ、ブノン族を訪ねて行きました。

この地域にはブノン族の村がいくつも点在していましたが、今も布作りをしているところはほとんどないとのこと。現地の情報で、今も手織りを続けている村、Dakdam村を教えてもらい、そこに向かいました。

 

Dakdam村に到着しました。とても質素な村でした。

画像は無いですが、村の中にはカトリック教会や小学校もありました。質素とは言いながら西欧の影響を色濃く感じました。この理由はあとでわかりました。

 

村の人に、この村で手織りをやってる家を教えてもらい其処に向かうと、様々な年代の女性が数人お庭でたむろしていました。「こちらで布を織っているときいたんだけど」と聞くと、にこにこしながら手織りの布を家から運んできてくださいました。

狭い巾の綿織地です。シンプルな幾何学模様が色々入っています。この感じ、個人的にかなり好みです。どこで織っているのか、建物の中に機(はた)があるのかを聞いてみると、「いつでもどこでも織れるますよ」といって、女の子の一人が道具を持って来て家の前で織りかけの仕事をはじめてくれました。

アジアの各地でみられる最も原始的な機のひとつ、輪状腰機(こしばた)です。少々専門的な言いかたをすると、経糸がわっか状になっているので輪状、手織機で言うところのちまきやちきりは無く、間丁(けんちょう)を足裏で、そして胸木(むなぎ)を腰で支えて、自分のカラダで経糸にテンションをかけます。言ってみれば二本の足がそのまま“機”になっているわけです。
樹木や家の柱など既に頑強に固定されているものに間丁を据え付ける腰機もありますが、こちらはそれよりも更に単純。いつでもどこでも織れます。写真や動画で見たことはありましたが、現地の人間が現地で織るのを見るのは初めてで、恥ずかしながら勝手に興奮してしまいました。

動画も撮りました。どうぞ。

 

動画でも見ることができますが、緯糸で柄を作る際には、別の棒で経糸をおのおのすくっていきます。

こうやって、布の中心ストライプ部に様々な幾何学模様を織り入れていました。
単純な幾何柄が多くて、その雰囲気が個人的な好みのストライクゾーンど真ん中だったのでそれぞれの幾何学模様が何を意味しているのか、聞いてみると・・・

 

このひし形模様は、ひとつひとつがキュウリの種、

 

このギザギザ模様は、森にすむいろいろな動物のたくさんの鼻、

 

この二等辺三角形2つの模様はクモ、をそれぞれ表しているのだそうです

そしてこれら3つの柄をひとつの布に織り上げると、生活が豊かになり幸せに暮らせるようになる、とのこと。話を聞いてるうちに、勝手にわくわくドキドキしてしまいました。抽象柄の単純さと美しさ、そして、意味づけのストレートさなど、いろんなことがないまぜになって押し寄せてきました。昨年シドニーのオーストラリア博物館先住民ギャラリーでアボリジニの生活品に魅入ってしまった時と全く同じ感覚でした。

布製品にかぎらず、人間が作り出すモノというのは全て、本来何かの意味を持って作られており、その意味表現を精練(多くはおそらく簡便化)してモノに乗せているのでしょうけど、やはり、昔から、簡便化するのでもなんかこっちの方がカッコいいよね、というようなセンスを持っている名もないアーティストがいらっしゃって、彼もしくは彼女がはるか昔に“デザイン”したのだろうな、と、こういうものを見ると勝手に想像してしまい、その素晴らしくカッコいい感じにヤラれてしまいます。
今回も、話を聞いてるうちに、なんでこれがクモを意味しているのかとか(だって脚ないですから)動物の鼻って何種類なのとか、そんなことを聞くことがバカらしくなりました。

本当に美しかったです。色々な意味で、です。

 

いまは、分かりやすいこんな女の子の柄も作っているそうです。

 

こんな感じで、全ての布の中心に柄が入っていました。可愛くて美しかったです。

 

柄の由来やその意味の細かい説明は、すべてこのお母さんがして下さいました。

この村の織の指導者的な方で、家族親戚の女性に織りを教えておられます。
現在、この村の周辺で織りをしているのはこの家族だけとのこと。
70年代の内紛以前は、彼女の話によるとどの村でも布作りはしていたとおっしゃっていました。しかし、75年からのポルポト政権の原理共産政策や、その後のベトナムによるカンボジア侵攻による村の放棄など、どの村も染め織りをする機会と道具と場所を失ってしまい技術が途絶えます。落ち着き始めた90年代から、この村はフランスの補助もあって織が再度できるようになったとのことで、このお母さんが主導して織が復活したようです。村の中に教会や小学校があったのもその影響かもしれません。お母さんの胸元にも十字架がありました。

どこかでも書いたかもしれませんが、カンボジアを旅すると、70年代の内戦の爪痕をまざまざと見せつけられる場面に多く出遭います。
歴史的考察に「もしも・・・だったら」を持ち出すのは危険ですが、もし、ベトナム戦争が起こらなければカンボジアは今と全く違う国だったのだろうな、と思わずにはいられません。

なお、ここの織糸はすべて街で買って来ているとのこと。残念ながら染めまでは復活できなかったようです。
ですが、58歳の彼女がまだ小さい頃は、村の周りの植物を使って染めてたそうです。黒い色を出すには土を使ってたとのこと。この辺りは全て赤土なので鉄分などの媒染作用で濃色を染めていたのかもしれません。

 

近くで井戸端会議をしていた若い女性たちがどんどん集まってきました。やはりお客さんは珍しいのでしょう。カメラを向けると、皆さんニコニコでした。

彼女たちも皆さん織り手だそうです。そしてやはり先生はさきほどのお母さん。家族総出で織りをしておられるとのことでした。

 

彼女たちの布はこの村で使うだけでなく、近所の村に売りに行ったり、街の市場に持って売ったりしているとのこと。この村の大切な収入源の一つとなっているようでした。

ですが、この村での布作りも、村の人たちの生活に密着した工芸スタイルでした。
同じく生活に密着した畑や池が村の裏側にあり、水牛がたむろしていました。
風景だけでなく、その空気全体がとても美しい村でした。

 

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