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手染メ屋店主的わかりやすい作品考

久方ぶりのブログ。
良く見たら、前回は8月のアップでした。例の東京オリンピックエンブレムネタですな。
その節は長々とだらだらと書き連ねてしまい大変失礼おば・・・。

閑話休題
もう会期を過ぎてしまったのだけど、今日は先日拝見してとてもよかった展示会のお話をひとつ。

去る11月1日から23日まで京都の“染・清流館”で開催されていた『五彩あやなす』展。
将来を期待されている5人の新鋭作家展、というふれこみ。
最近知己を得た若手染め作家さんの安達大悟さんの名があり、彼の作品がそこに展示されていたので、ギリギリの22日に行ってきた。

これが、とてもよかった。
正確に言うと、とてもすがすがしく気持ちの良い、そして個人的にはとてもわかりやすい作品だった。

ご本人の了解を得て、展示会の画像掲載します。

彼の染め手法は、板締め手法を駆使した生地染め。
様々な形状の板を使い、正確に畳んでその板で締めて染めて色が付いたら板を外して洗う、という緻密な作業を何度も何度も繰り返す。
精度の高い作業を地味に何度も行わなければいけない、とても神経の使う製作工程の上に成り立っているのだろうと想像する。

ご存知の通り当方の絞りや締めの手法は本当に稚拙で小学生の夏休み自由課題レベルなので、安達さんの作品の百万分の一程度の作業しかしていない当方がとやかく言えるものではないです、はい、すみません。

地味な作業の集積で出来たパターンデザインのテキスタイル。
そのパターンが、とても、心地よかった。

当方は、自然の成り行きに任せ過ぎてしまっているプロダクトはあまり好みではない。
ここで長々と当方の好みを述べるのもなんなので簡潔にしておくが、
素材自体のnoiseや作業手法の過程で生まれてしまうnoiseを適切な作業の繰り返しによりできるだけ取り除きながら作り上げて、それでもどうしても残ってしまった少しnoisyな風情が残ってしまったモノが、個人的にはずっぽしストライクゾーンのプロダクトだ。

「素材の良さはいじらずそのままのほうがいいんだっ!」的に(あえて言うが)無責任な態度で雑多な夾雑物をたくさん残してしまっているプロダクトには食アタリにあったような気持ちになるし、「このくらいは天然の風合いを残してあげておくのがいいよね」的にnoisyな風情を(程度にもよるが)わざと残しているモノには、イヤラシイ作為を感じてしまう。

まぁ、時々食アタリがするくらい重いものを欲するときもあれば、例えば先ほどの“イヤラシイ作為”をいわゆゆる“本流”のすっきりしたモノづくりに対するアンチテーゼな要素として組み込んでいる作品に対しては面白みを感じることもあるが。

天然染料を使用している手染メ屋の染め手法に関する考え方の根幹も全く同じである。
草木の色だったらなんでも好きと言うわけでは当方は全くない。できるだけ黄色に、できるだけ赤系統の色に、できるだけ黒に染め上げたい、と、意図しない(つもりの)色やnoisyな色を取り除くためにいろいろ作業を重ねるが、どうしても完全な黄色や真っ赤にはならない。その、そこはかとない雑味がどうしても残ってしまった黄色や赤に品の良い深みを感じ、それが、好みなのだ。そして、天然染料を使用すると、どうやって頑張って染めても、少しnoiseが残ってしまう。だから天然染料を使っている。

安達さんの作品を初めてみて、勝手にであるが、当方が普段考えていることと全く同じ作業コンセプトを感じてしまった。

板締めは本当にコントロールが難しい。生地を折り畳む際にどうしても生じてしまうリピートのムラ、均一とは言いながらどうしても生地の厚さの差が出てしまうことによる染料の浸透性の違い、もっと単純に、予想できなかった染料のにじみムラ、などなど。。
おそらく、ここまで大きいテキスタイルを精度高いリピートパターンにするには、相当な工夫と作業が必要だろう。

仕事柄、絞りや締めの作品を鑑賞する機会は多い。そして、上記のような「計算できない」、「思わぬ」事態を、いわゆる“味”や“風情”として仕上りの要素として残してしまうテキスタイルばかりが(こう言っては何だけど)目につく中で、安達さんの作品には、そのようなユルさが感じられなかった。
ちょっと極端な物言いで申し訳ないが、“板締め”と言う手法に対する馴れ馴れしいもたれかかり感が無い(そういう作品が世の中に多いのだが)、と感じた。

板締めは同じ図柄の繰り返しの絵柄になるが、先ほども言った通り染料のにじみ具合や畳んだ時のゆがみ具合によってどうしても少しずつ形が違う。これが均一になるように彼も相当な努力をしているのだと想像する。
そして、そこまで手間暇かけて作業した彼の作品でも、どうしてもひとつひとつのパターンには少しの差が出てしまっている。その微小の差(正確に言うとそれほど微小ではなくてもよくて手作り欺瞞的ではない差)が、見ていて心地よい。

そこに、「わざと残したんだよね、手作業の仕事って、そのくらいの方が良いじゃないですか」という声が全く聞こえてこない。
そこがとてもすがすがしい。

こういう作品、大好きです。

安達さんがどのような考えで染めていらっしゃるのかはわからずこの文章を書いているので甚だ的外れな感想かも知れないが、いずれにせよ当方は勝手に彼のモノづくりスタイルに同種のものを感じてしまっている。
だから彼の作品は当方にとってとてもわかりやすい。

言うまでもないがすべてはあくまで当方にとってである。テレビ通販などであるいわゆる「あくまで個人の感想です」というやつだ。
だが、個人の感想としてはそんな感じなわけで、金があればこのタペストリー買いたいくらいだ。
まぁ、もしポケットマネーがふんだんにあったとしても、家も工房も狭すぎなので飾るところもないのだが。

心地よい作品をみるとこちらももっと作ろうとしたくなる。
これは、単に「エネルギーをもらった」とか「インスパイヤされた」なんていう耳心地が良いだけで何を指しているのかわからない現象ではない。
おそらく、形になろうとしていながら情報不足でアウトラインがはっきりしないまま当方の心のどこかに存在する“なにものか”が、ある種の素晴らしい作品を目にしたり耳にしたり口にしたり鼻腔を通ったりすることで、明らかに具象化されるからなのだろう、と思う。

そして、今回の安達さんの作品も、そういう刺激になりました。
安達大悟さんの作品展、また次回も必ず行こうと思う。

安達大悟さんの作品は彼のホームページでも見ることができます。服やバッグもあります。
ご興味おありの方は是非。

DAIGO ADACHI textiles

手染メ屋
http://www.tezomeya.com/

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