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ロックで世界は変わるのか? ~その3最終回

 

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どもです。3回目です。すんません、二日休みました。
今晩で終わるからね。うん。最終回はレゲエの話からスタートです。

ボブマーリーさん。ご存じジャマイカのレゲエの神様。
俺らの世代ならたぶん一度は通過する“レゲエ風邪”。俺も大学生終わりのころに罹りました。しばらくは毎年レゲエサンスプラッシュ行ってたなぁ。そんな歳の頃は、夏はやっぱボブだよなとか偉そうに言いながらさんざ聴いてました。いやもちろん今でもいいと思うけどね。

ボブマーリーの唄はほとんどがプロテストソングだ。っていうか、たぶんレゲエに“プロテストソング”って意識自体がないんじゃないかなぁ。レゲエとはrebel music(反抗の音楽)らしいから。

1960年~70年にスカやアメリカのソウルやロックから生まれたロックステディを聴いたり演ってた若者たちに、ラスタファリ(アフリカ回帰主義)思想が降りかかる。ボブやバニーウェイラー、ピータートッシュ、バーニングスピア、オーガスタパブロ、ラスマイケル、デニスブラウン、グレゴリーアイザックス、そしてジミークリフなどなど。それでできたのがレゲエ。
彼らの音楽はラスタファリ思想が基本だから、愛だの恋だのって唄はほとんどなし。警官を撃っちまったけど俺は間違ってないよ正当防衛だよだってありゃ正義じゃねーじゃん、とか、俺たちは昔遠くから連れて来られた奴隷だけど今が立ち上がる時だぜさあ救いの唄を歌うぜ解放の唄を歌うぜぇ、とか。

このあたり、ロックやパンク、そしてブラックソウルでさえもかなわないパワーがあるよな、と思う。実際、ボブマーリーは世界を変えてるよね。これ有名だし知ってる人も多いと思うけど。

当時ジャマイカは二大政党による政治抗争がものすごくてそのとばっちりでボブマーレーも1976年に銃撃されてるよね。でイギリスに亡命するんだけど1978年にキングストンに戻って演ったライブで、その抗争中の二大政党の党首同士を目の前で握手させる。片方の政党がボブを撃ったのに、だよ。さすがyoutube。ちゃんとあるね。下の映像の4分くらいのところ。

昔まだレゲエ風邪にかかってた頃にこれ初めて見たんだけど、その時はこの人は神かと思ったよ。さんざかっちょよく歌い踊り倒して、で政治家二人観客席からひっぱりあげて、握手させて仲直り。こんなことしたミュージシャン、後にも先にもいないよねたぶん。俺が知らないだけで誰かいたらごめんなさい。

ただ、もう少しオトナの話をすると、この二大政党、当時与党の人民国家党と野党のジャマイカ労働党はこの後もすぐ抗争が再発して、1980年の総選挙の時は800人もの死者が出て与党と野党が入れ替わる。この二大政党はその後も入れ代わり立ち代わりで、今もその政争は続いてるらしい。ボブマーリーとレゲエほど政治や思想一色の音楽でも、一時期の停戦しかできなかった、とも言えるんだな。それでもすごいことだけどね。

ボブマーリーはかっこいい。今観てもかっこいい。ホントカッコいい。音だけでも十分だけど、動いてるボブはさらにむっちゃくちゃカッコいい。逝ってるよねもう。こんな状態でステージ立てたらほんときもちいいだろうな、と思う。絶対無理だけど。
で、彼がなんでカッコいいかっていうと、これはもう単純で、唄ってること演ってることがホントだからだよね。彼は本気でジャマイカを解放しようとしてただろうし、彼が“Jah!”(ラスタファリ思想の神様のこと)って叫ぶときは本当に本気で神にすがっていたんだろうと思う。マリファナの力も手伝ってかもしれないけど彼はライブの時は完全にどっかいってる感じだよね。彼の1977年のロンドンライブの映像、大好きなやつなんだけど、もう、これ、一時間ちょっとのあいだずっとほっとんど目開いてるシーンがないんだよね。この映像も一部がyoutubeでありました。

彼は本気で世界を変えようとして曲を作って、レコーディングして、ライブやってたんだと思う。残念ながら当時の政治は大きくは変わらなかったけど音楽には世の中を変える力があるのかも、っていう希望を与えてくれたんだよねたぶん。

このあたりからは完全なる私見なので賛同してもらわなくて結構です。

ボブマーリーの活動を否定するつもりなんか全然ないんだけど、やっぱり音楽で世界を大きく変えるのは無理なんだと思ってる。だって、ボブマーリーほどのミュージシャンがいて、更に他のミュージシャンもみんなラスタファリな人でラスタ音楽をやってたのに、キーマンと環境がそろってたにもかかわらずジャマイカの政党抗争は変わらずだ。彼が1977年に握手させなかったらもっと死んでたかもしれないけどね。それはわからないけど。

だけど、世界は変わらなくても、聴いてる人間の何人かはそこにすげーカッコいい何かを感じるんだわ。唄って面白いんだけど、っていうかあたりまえなんだけど、歌詞の意味がちゃんと分かって唄えてないとかっこよくないことが多いんだよね。っていうか、まず大前提として言葉が流れてる歌じゃないとかっこよくない。で、言葉が流れるためには歌い手がその意味をちゃんと分かってて「そうだよそうだよ!」って思ってないとだめなんだよな。
自分の話で申し訳ないけど、自分で作った歌詞でさえ、選んだ単語がおかしいと自分で歌えなくて(たいていはこっぱずかしくて)修正を入れるなんてことはしょっちゅうです。で、それって歌ってみないとわからないんだよ。しかも、家で鼻歌で作っててもわからない。バンドで合わせてマイク通してちゃんと歌い上げてみないと「うわ、あかんわこれ」ってわからない。まぁこれは俺に作詞の才能がないからなのかもだけど。
歌い手が、その唄を必要十分に理解してると、っていうかロックっぽく言うならちゃんと心の叫びだと、メロディーと息遣いと抑揚に感情が乗る。そうして初めて音に力が出てくる。これ、日本人が英語の唄歌う時でも全く同じです。リスナーがその唄の歌詞を理解してくれてるかどうかなんて全然関係なくて、日本人の歌い手がその英語の歌詞の意味合いをちゃんと理解してないと、やっぱ、唄えない(っていうかそもそも覚えらんないよ)。
あとは、その歌い手の力がどの程度かで、どのくらいカッコいいか、だよね。あ、もちろん声質ってすげー重要だよ。それから、意外と関係ないのが音痴かどうかってやつね。リズム音痴だとつらいけど相対音階音痴は他の要素がかっこよければ意外となんとでもなる。

もう一度同じこと言うけど、唄う詞がホントじゃないとカッコいい唄にはならない。ホントだったら全部カッコいいかっていうと、それだけじゃなくてあとは歌い手の別の要素の力量がそこにのらないとだめだけど、ホントであるというのはカッコいい唄の必須条件。と、思ってる。
ボブディランは世界を救いたくって唄ってるわけじゃないけど、ホントに気になったことをそのまま詞にして、それを、ホントに「そうなんだよぉ」って唄ってる。そこに彼のあの声とぶっきらぼうな口調とギターとハープが絶妙にあいまって、かっこいいんだよ。シドヴィシャスはほんとにいろんなことをぶっ壊したかったんだろ。壊した後のことなんてお構いなしで。だから、ホントに壊れててかっこよかったんだよ。ボブマーリーも、レイチャールズも、U2も、ニールヤングも、カートコバーンも、みんなホントにちゃんと言ってるからカッコいいんだよ。

で、リスナーはその、『かっこいいーっ!』っていうインプレッションがあるからその歌詞が頭にはいる。そうして歌詞の中身を反芻するんだわ。そのおかげで、虐げられてる黒人のことや、イギリスとIRAとの内紛で苦しむ北アイルランド国民のことや、ベトナム戦争の悲惨な状況なんかを知ることになるんだよね。
唄で世界を変えることはものすごく難しいけど、世界の状況を広く知らしめることはできる。その歌い手の力が強ければ強いほど、その情報はより広くより多くの人に伝わることになる。ボブマーリーやほかのラスタミュージシャンのおかげでラスタファリ思想は世界中に広まった。それはジャマイカの解放運動だけじゃなくてアフリカの小さな国々の独立運動も巻き込んだ。そして、全然関係のない俺たち日本人も、アフリカの小さな国々がどんなに大変なことになってるのかを知るきっかけを作ってくれたよね。
黒人公民権運動にしたって、黒人が実質的な選挙権を勝ち取れたのは当時のジョンソン大統領(ベトナム戦争では評判悪いけど)がキング牧師や南部保守派議員と粘り強く議論を重ねて公民権法に署名したからであって残念ながらブラックソウルが勝ち取ったものではないけど、もちろんジョンソン大統領の立場をゆさぶる原因の一つにはなったかもしれないし、公民権運動の現状を国際世論や主に北部の白人の良心に訴えるソースにもなっただろうし、もっと単純に「黒人ってすげー!」っていう黒人ポジティブ思想を広めたよね。それが公民権法とその後の更なる黒人の地位向上に影響を与えてるよね。個人的には、マイケルジャクソンがいなかったらオバマ大統領は生まれなかったのではないかと思っています。あ、そういう意味ではマイコーはボブマーリーと同じく世界を変えてる数少ない音楽家だな。

もう一度言います。残念ながら音楽で世界は変わらない。だけど、知らせることはできる。そして、それが世界を変える後押しにはなるかもしれない。ロンドンパンクでいうところの、マルコムのぶっとんだおばあちゃんくらいの役割にはなる可能性を秘めてるんだよたぶん。

ただ、その2でも言ったけど、唄は載せられる情報量が少なすぎます。出来事の概要とそのインパクトくらいは伝えられても、詳細な考察や仮説、周りを取り巻く状況なんてもちろん伝えられない。だから、唄で知った「え?」とか「なにそれ!?」は、そのあと自分でちゃんと勉強しないといけません。これが絶対に必要です。だけど、危険なことに唄ってのはさっきも言ったようにすげーパワーを持ってる歌い手から伝わるとインパクト大きく頭に入る。そのインパクトが大きすぎて実際はとても少ない片手落ちの情報な可能性もたかいのに、インパクトの強さだけでもうおなか一杯みたいになっちゃう。これがとっても危険なことだと思ってる。

そして、更にやばいのは、唄で情報を得られることを覚えると、他の手段で情報を取ることをやめる奴が出てくるんだよ。「俺にホントのことを伝えてくれるのはロックだけだ!」とか言って。俺もロック大好きだし、ロックだけがホント、って言う言葉で伝えたいニュアンスは大雑把にはわからんでもないよ。そりゃ自分が真髄するロッカーが唄ってる歌はすげー頭に入るよ。だからそれを信じるのもいいでしょ。でも、それが世の中で一番美しく正しいことだとか思いはじめちゃって、それを周りにも強要し始めるともうだめ。考え方がとっても原理的になる。周りの情報を取ることをやめるから。
失礼な言い方になったらごめんやけど、これは、ある意味思考停止になってると思う。唄に対して、ロックに対して過度に期待しすぎだ。何度も言うけど、ロックを聴いたおかげで世界が広がったのは俺だってそうだよ。これ、映画にだって漫画にだって言える同じことだよね。でも、それが目的になってそれだけで世界を見始めると、情報少なすぎて思考停止になってしまう。と、思うんだわ。

あるロックの唄を聴いて、うわ、すげーかっけー!となる。で、そのミュージシャンの主張が頭の中に入ってきて、「へぇー、そんなことがあったんだぁ・・。知らなかったわ。」となる。これ、一粒で二度おいしいってやつですね。言い換えれば、ただのラッキー。だ、と思ってる。で、この“そんなこと”ってどんなことなんだろう、っていろいろ調べ始める。これが健全なロックの聴き方だと思うんです。ロックの唄からだけじゃわかんないじゃん。

ロックはほんとにいい。で、カッコいいロックって、やっぱり理由がわかんない。
高2の時に貸レコード屋で借りてきて初めて聴いたツェッペリン。最終楽章だったんだけど、A面に針を落として始まったWe gonna grooveからひっくり返してB面の最後Wearing and Tearing が終わるまで、ずっと鳥肌立ってた。短いアルバムで40分ないんだけど、その間、ずっと、頭の中で「な、な、な、な、なんじゃこりゃぁぁぁぁっ」って言ってた。あれはなんだったのかいまだにわからん。
そこに、歌詞の内容がどうだとか、どんな主張を言ってるとか、全く入る余地はありませんでした。もちろんも少し大人になってから歌詞の意味とか調べるようにはなったけど、ツェッペリンはじめとして好きなロックは、聴いてるこちら側からすると、歌詞の意味が一番じゃない。少なくとも俺は。ロバートプラント、そしてできれば他のメンバーボンゾやジミーやジョンがわかってたらそれでいいんだよ。歌詞の意味やその主張は。それでかっこよくなる。

歌詞やその唄の背景を知ってなるほどなるほどって思うことはとても多い。そういうときにも、あぁ、ロックっていいなぁと思う。
すげーカッコいいひと時をもらえて楽しませてもらえて、で、更に、本読むのが嫌いな俺に更に知の機会まで与えてくれる。
すげーよ、ロック。大好きです、ロック。ありがとう、ロック。そう、ありがとうございます、がロックに一番言いたいことだ。

 

最後にえせロッカーっぽく言って終わりにします。すげー苦手なんですけどそーゆーの。

「『反体制じゃないとロックじゃない!』、『ぶっ潰すのがロックだ!』だと?馬鹿言うなよ。ロックってのはカッコいいもんなんだよ。カッコいいか、カッコわりーか、それが一番重要なんじゃねーかよ。思想や主張ももちろん入ってるけどそれはカッコいいためのおまけのひとつなんだよ。おまけばっかみてんじゃねーよ!ロックのおかげで知らなかったことちょっと知れてラッキーなだけなんだよ。てめぇの不勉強をロックに押し付けんなよ!まぁ俺も全然不勉強だけどよぉ・・・。」

大変失礼いたしましたm(__)m

そして、ただのおやぢの独り言、長々とお読みくださり本当にありがとうございました。

 

手染メ屋
http://www.tezomeya.com/

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