tezomeya ブログ
憲法(けんぼう)色の話
皆さん、吉岡憲法ってご存知ですか。じゃ、吉岡兼房は? もしくは、吉岡清十郎ではいかがでしょう?
関ヶ原合戦前後の歴史好きの方や、漫画「バガボンド」を読まれてる方はもうおわかりですね。はい、宮本武蔵のライバル、京の剣客吉岡一門の当主さんのことです。
吉岡の名にはいろんな説があるようですが、室町末期の京都に吉岡というものすごく剣の起つ人物が現れてこれが将軍お抱えの兵法師範となり、代々剣士の家として名声を極め、戦国時代にも豊臣に仕えたそうです。
この吉岡家の当主が代々「憲法」名を名乗ったそうで、これが一応定説になっていますね。ちなみに、3代目吉岡憲法が、吉川英治の小説「宮本武蔵」で武蔵に敗れるあの清十郎です。
更にちなみにですが、この“けんぼう”の漢字は、憲法、憲房、兼法、兼房の4種類どれでも良いようです(文献でこの4種類を見ましたので)。
で、この吉岡家がなんと江戸の初期に、名門の剣家からいきなり染め物屋に転職しちゃうんです! 原因は、清十郎が武蔵に負けて名声が地に落ちたからとか、関ヶ原合戦で豊臣家について負けたため徳川の目をそらす隠れ蓑だとか、4代目吉岡憲法が宮中で刃傷沙汰を起こしたからとか、いろいろ説がありますが、なんとも妙な身の振り様ですよね。でもこれ、ちゃんと理由があるんです。
当時から剣武に使う着物は黒系統、と相場は決まっていました。当然吉岡家が着用する衣も黒。でも昔は真っ黒を染め出すのはとても大変だったんですね。もちろん染色は天然の染料です。この吉岡家、多分器用な人が多かったんでしょう、自分らの着物は他人に任せずどうも自ら研究した独自の染法で染めていたらしい。でもメインは剣術。黒染めは家事のひとつのような感覚だったんでしょう。ところが諸々の事情により剣を握ることを断念してしまった。さあ、何で食べよう…。で、これまでやっていた黒染めを生業にしたんです。
これが京の町で大当たり! 他の染め屋が出す黒より、ずっと黒くてしかも安い! 「え、あの有名な吉岡はんが、染めしてはるんですか? そら一度みにいかなあかんわ」みたいな評判もあったかどうかは知りませんが、吉岡家の黒染め方法は「吉岡染め」と名され、染め出される、少し緑味を感じる黒は「憲法色」、「憲法染」ともてはやされたそうです。それから、京都では吉岡染めをする染め屋が沢山出来て現在に至る、というわけ。
京都在住の著名な染色研究家であられる吉岡幸雄さん(染司よしおか五代目ご当主)もおそらくそういった黒染屋さんの中のおひとりなんでしょうか。
人の名前がついてる色名って少ないんですが(あとは団十郎茶くらいしか知りません)、少ないだけに由来がユニーク。これだから色名調べって止められません。
吉岡憲法って初めて知りました。愉快な話ですね。武家は黒だったという話ですが、だいぶ前に何かで読んだのですが、忍者の装束は黒と茶のリバーシブルで、夜と昼間で使い分けたという話でした。浅草あたりで外人客目当ての忍者の装束は派手なのがあってこれでは忍びにならないなと思うのがあります。もう一つ、人の名前が付いた色ですが、「利休ネズミ」なんてのがありましたね。今の色ではチャコールグレイが近いのではないでしょうか。それから落語の「孝行糖」の中に「りかん茶、しかん茶というのが出てきます。りかんとしかんは江戸と上方の役者の名前ということになっています。それからまじめな話、イギリスが制海権を握る前、ポルトガルとイスパニヤが東南アジヤや南米からヨーロッパにいろいろ持ち込んで大もうけをしていたころ、ログウッドが黒染めに高価なものだったと聞いています。それで染めた宣教師の黒いマントの色で江戸時代の人が驚いたとか。落語や講談で江戸時代の浪人の着古した黒い着物を羊羹色なんて表現していますから着古した黒は羊羹色になってしまっていたんですね。ログウッドの芯材のエキスのヘマチンで鉄で染めたことがありますが、それでも真っ黒ではなく濃い紫のような気がします。黒いバラとか黒いチューリップもやはり濃い紫です。一度イカの墨で染めてみたいと思っています。墨がなかったヨーロッパでのインクはイカの墨だったと聞いています。それでもまっ黒ではないかもしれません。セピアというのはイカの墨のことだと何かで読んだことがあります。
書き込みありがとうございます。
以前イカ墨で染めたことがあるのですが、黒にはならずあわいシルバーグレー程度にしか染まりませんでした。
イカ墨黒の主成分のユーメラニン自体は水に溶けそうな構造をしてるのですが、ユーメラニンはどうもタンパク質と強固に結合していて、不溶の粒子状になっているようでして。
ですので、昔もセピアとして顔料的扱いをされていたようですね。