tezomeya ブログ
メイキングモノを
みた。
「『もののけ姫』はこうして生まれた」
っていうジブリのDVD。
ウチの工房の新人クン(また今度紹介します)とジブリ話をしてて、
観てないんだったら、是非貸します、ってことで借りた。
彼が持っている一番のおすすめDVDだ。
その名の通り『もののけ姫』のメイキングなんだけど、
なんとDVD3枚組。ボーナス映像も入れると全部で6時間半の超長時間モノ。
普通のメイキングモノをメイキングオヴ系とは全く次元が違うその制作姿勢に興味を持って借りた。
で、
すごかった。おなかいっぱいになりました(笑)。
本編をはるかに超えるネタ満載の内容。
『もののけ姫』はもちろん好きだが、今でも宮崎映画での一番は個人的にはラピュタである。
昔大好きだったSF映画のシンドバッドの冒険シリーズ(あのハリーハウゼンのやつね)を彷彿とさせるあのストレートな冒険大活劇タッチと、ファンタジー感溢れるストーリー設定。
・・・、なんてヘリクツいわなくても好きな人はとにかく好きですよね。わかりやすいし。ストレートだし。
ラナとコナン、クラリスとルパン、そういう流れですヨ、はい。
もののけは、ナウシカ原作コミック完了後の映画だったし、
「あぁ、やっぱ宮崎駿って、こういうことちゃんといいたかったんだな。」
なんて、封切りの頃はそんなワケシリ顔で観てた。
(コミック版よりもはるかに)多くの人の注目を集めた映画版のナウシカでは全然言い足りなかったと思われるフクザツな自然システム。
人間の存在なんかそのシステムのごく一部に過ぎない、人智の及ばない摩訶不思議でキテレツな存在、存在というよりも概念か、自然って・・・。
なんていうようなことを、その頃は勝手に外野で想像して知ったかぶりでいたんだけど、
この6時間に及ぶドキュメンタリーを観て、
そんなうわっつらなエセ評論では大変申し訳ないごめんなさいもうえらそうにいいませんすみませんみやざきさん
と思ってしまいますた。
メイキングの内容は、宮崎監督がラフ案を考えはじめてから絵コンテ、原画と動画作り、宣伝戦略、アフレコ、BGMとり、そして最後に封切りにこぎつけるまでを時系列にのっとって淡々と撮られていくんだけど、
こんな簡単に目次だけで説明するにはあまりに申し訳ない濃い中身なんですよ。
宮崎駿って、やっぱ超人だ。
あの人いつ寝てるんだろ。
とにかくどの作業にも全部自分がかんでる。監督だから当たり前といわれればそれまでなんだが、
普通は物理的に不可能な作業量ってあるよね。どうもあの人はその物理的なリミッタ―が全然凡人とは違うみたい。とにかくすごい。
並大抵のエネルギーでは全くできないことを延々つづける。
とにかく、描く、描く、描く、描く、描く、のだ。
そんな映像が、ときおり語られる宮崎駿の独特の世界観とともに綴られているドキュメンタリー。
また、この世界観がおもろい。
「ボク達は結局映画の奴隷なんですよね」
映画というものは、“自分”で勝手に完成形になろうとする。らしい。
何かはわからないが何らかのものを伝えようとして出来上がるように“自分”で収束していく。らしい。
で、監督も含めてスタッフというのは、映画が“自分”で完成にこぎつけやすいように
手助けをするに過ぎないのだ、と。
そういうことを言っているのだ、監督が。
彼は「自分が創ってるんです」という言い方を全くしていなかった。全編通して。
彼は絵コンテを作るとどんどん回りの人間に意見を求めていく。途中まで完成するとスタッフ全員に配ってその評価を聞く。
おもしろいか、おもしろくないか。根本はここだ。
「人道的」とか「示唆的」とか「エコロジカル」とか、そんなのどうも関係ない。
面白いか面白くないか、これがポイントらしい。
映画を作る時に伝えたいものはなんですか、という取材の質問に、監督は
「伝えたいものがはっきりしていれば、その伝えたいものを活字で表わすのが一番わかりやすいですよ」
「例えば、自然破壊に歯止めをかけたいと思ったら、ストレートに『自然を大切にしよう!』って活字やコトバで直接働きかけるのが一番わかりやすいに決まってるじゃないですか。それをわざわざ映画で言おうとするから、違和感のあるものになってしまう。
自然を大切にしたいけど木を切らないと生きていけない人がいる。そういう人たちを僕らみんな知ってますよね。例えばそれを全く隠して映画を作ると、子供たちは本能的にそこにうそ臭さを感じるんです。」
「子供たちがうそ臭いと思わないように、おもしろい、あきない、って思ってくれるにはこっちが本気でおもしろく作んなきゃいけない。そうすると伝えるものがただひとつなんてことは絶対にありえない。」
「『この映画、よくわかんないねぇ・・』って大人に言われるとうれしいですね。おもしろい、興味を引かれることって、そんな単純なものではないはずですから。」
・・と、そんなことを言っていたと思う。
みんなそれぞれいろいろな面白いと思う琴線を持ってて、ジブリの中のスタッフたちそれぞれ微妙に違っていて、その人たちの大勢が面白い、って思うものを考えながら彼は絵コンテを描く。
そうすると、もう、その話は、一つのモノゴトをおっていくなんていうものじゃなくなっていく。だって、みんなちょっとずつ琴線違うし。
でも、万人が持っている気になる琴線、例えば文明の利便性と環境保全の矛盾、必要悪といわれるものの定義と存在意義、生と死・・・、誰もがほわぁんと気になっていて、でもぜんぜん解決できてなくて、すごぉく気になってる、そういったもの。
だれもが気になるこういった内容を、結論付けられないまま、等身大のまま、ごちゃごちゃな話の中に入れると万人が「あれ、おぉ、うぅぅん・・・、」
と思う。
そのストーリーだけでなく、アニメの細部にまでわたるスタッフの総意が組み込まれたもの。
皆で作った、というよりは、大勢の人間の最大公約数(最小公倍数?)に収束していく製作作業。それを「映画は自分で映画になろうとする」という、美しい表現。
そっか、宮崎駿の映画って、そういうモノなんだ。
監督はまた別の言い方をしてた。
「個性っていうのは、他人との共通の価値観や認識をどれだけ持てるか、ってことだと思うんですよ。」
なるほど、そうだ。言葉尻だけ捉えると一般的にはなにやら反対の事を言っているようにも聞こえるが、
よく考えるとそのとおりだ。
他人が興味のあること、他人が気になっていること、他人が「あ、これかわいい」と気付くポイント、そういうものを、自分も共有して持っていると他人がそこに共感してくれる。
その共感ポイントが、その他人の内面深いところのものであればあるほど、その他人は共感してくれる自分をさらに強く認識する。
“個性”とは、その人物を特定的に認識する際のよりどころとなる“何か”だ。
より多くの人が、より特定的に、そしてより力強く認識してくれればその相手はどんどん“個性的”な人物となる。
宮崎駿はもちろんとってもとっても“個性的”な人なんだろう。
で、それは、彼が雑学王であり、多くのことに興味を持ち、人々が気になっていることに対して更に鋭敏に気になってくれ、それを辛らつに取り上げてくれ、そして皆がおぼろげながらぷかぷかと心にえがいているような結末(それが例え終結していなくても)を映像化してくれるからなのだろう。
昔から、宮崎駿映画ってホントとってもわかりやすい映画だよな、と思っていた。
これは、そういうことだったんだ。なるほど。
・・・なんて、ずらずらの書いてるけど、もうね、アフレコなんかもすごいのよ。
美輪明宏ってほんとすごい人だし、田中裕子もやっぱホントスゴイ女優さんだし・・、
なんかすごいばっかでアタマ悪い文になってきたからもうやめるけど、
ホントすごいのよ(笑)。
全ての宮崎ファンに観ていただきたい一枚です。3枚あるけど。
一日で観ろなんていいません。ボクは4日かかりました。
ゆっくりでいいから、是非、ね。
アニメーターって、こんな大変なんだ、とか、
でも楽しそうだな、って。
そんなことでもいいから観た人一緒にお話しましょ。
是非。
アベクン、ありがとう、もちょっと借りていい?
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