tezomeya ブログ

tezomeya日記

ものすごい布とものの価値

今日、すごい布をみた。

ぬぬぬパナパナの『第4回うちくい展』が今日から開催で、
主宰の小田玲子さんにオープニングで声明(しょうみょう)が
あるから来い、との命令で、友達の前田さんと一緒にいった。

笙や竜笛や鐘、すごいいい感じでした。

で、その後に展示されてる布を見てて、みつけてしまった。

冷たいんだか、しなやかなんだか、っていうか布なんだか金属板なんだか
わかんないシルバーな表面感。

ドレープしてるところの色がいちいち違う。
玉虫とは違う、ラメっぽい、でも絶対下品に見えない輝光。

思わずひざまずいて(低い位置に展示されてたから)、織りをみる。

よくみると経糸がとっても細かい不規則に規則的な(わかります?)
コントラストの低い異色ストライプ。下げ札によると、藍と五倍子らしい。
緯糸はまた違う色の少し太めの糸っぽい。
そして、むちゃくちゃ打ち込みの詰まった綾織。

ただのシャンブレーでないことはすぐにわかったけど、
なんで、こんな色に見えるんだろ。

・・・なんて、そんな能書きはどうでもいい。

とにかく、すごい。なんだ、これ?
おれ、鳥肌とか立ってるし。

一応画像に収めてみた。
これ。

ごめん、写真じゃぜんぜんわかんないな。
しかも携帯だし。
画像ださないほうがいいかな、と思ったけど、
一応ね。

いっときますけど、この画像ではそのオソロシイ色の百万分の一も伝わってません。
布の左上あたりが少し暗い色だよね。ここがドレープによって不思議な
質感がでてるところ。色だけじゃない。ほかにも何かが違う。
ごめん、ホントこの写真じゃなにもわかりませんm(__)m。

下げ札に作家さんのお名前があった。どうにもこの気持ちを伝えたくて
会場内にいらっしゃるその方にご足労頂いた。

山本恵子さん。宮崎の方だそうだ。

蚕から座繰りで生糸を自分で手引きして作っておられるらしい。
すごい・・。

経糸は40デニールくらいでほとんど撚りをかけないらしい。
40デニールって、21中の2本だけってこと?
しかもほとんど撚りかけず?

すごい・・・。
どうやって整経するんだろ・・。
っていうか、そんな糸、綛で染めた後に枠上げするのに
どんだけ時間かかってるんだろ・・・。

ちょっと、おそろしくなった。

極細の生糸を手引きして、
綛染めして、
気の遠くなるような時間かけて枠上げして、
経糸整経して、
この細い経糸全部綜絖と筬通して、
で、緯糸を手織り。
多分一日に数十センチしか進まないんだろうな・・・。

手織り作家さんの作業としては当たり前のことなんだろうけど。
ボクはその作業たちがいやでいやで何年も前にほんのちょっと
かじっただけですぐやめた。

なんてことを、山本さんの話聞きながら考えてて、ふと気付いた。

いや、違う。おれはこの細かい気の遠くなるような作業にびっくりしてるんじゃない。

そんな話はこれまでもたくさん聞いてるじゃんか。

この布がすごいことに恐れおののいているんだ。

そして、
手引きの恐ろしく細い生糸や
このうっすらなグラデーション具合の染め色や
打ち込みの細かさなんかが、

全てこの生地の力を出すために

必要不可欠な、一つも欠かすことのできない工程なんだ、

という至極当たり前のことに、いまさらびっくりしてるんだ。

“手間がかかってるからこの作品はすごい”
と、
“このすごい作品はこんな手間がかかってるんだ”

は、似てる様で全然違う。

あえて言うけど、手間がかかっててもすごくない作品は沢山ある。

ま、ウチのTシャツとかね。
あ、ウチのTシャツはそんなに手間もかかってないか・・。

それはいいとして、

“手間”と“時間”は、“ものの価値”の十分条件では絶対にない。と思う。

手間と時間が、ものの価値の必要条件になることは大いにある。
でも、常に必要条件となりうるか、というとそうでもない。と思う。

このものすごい山本さんの布のすごさが表出されるには、
絶対にこの手間と時間が必要だったのだ。
この完成形を表出するためには、ひとつのサボリも
許されなかったんだろう、と思う。

山本さんはそして、それに気付いているから全ての単調で煩雑な
作業をやってのけたんだろう。

もしかしたら、途中の作業はいやでいやで仕方なかったのかもしれない。
(そんなことなかったらゴメンナサイ)

この仕事をしていてよく、
「こんな面倒くさいこと、やっぱり好きでないと続けられないですよね」
と言われる。

これは半分当たっていて半分当たっていない。
この言葉には二つの意味がぐちゃぐちゃにかくされている。

「こんな面倒くさいこと」の“こんな”が毎日の染め作業であることは明らかだ。

でも、「好きでないと」の好きになっている対象が問題だ。

もし、「面倒くさいこと」がその対象なのだとしたら、ボクは
この質問には“No”と応える。

だって、やっぱり染め作業、面倒くさいもの。
正直に白状しますが、出来ればやりたくないよ。

でも好きになっている対象が「好きな色を出すこと」なのだとしたら
至極全くその通りだ。好きだから出来ることだ。当たり前のことだ。

で、表出されるものがどきどきするから、途中の七面倒くさいことを
我慢してやっていられるのだ。

面倒だからホントはやりたくないけど、これをやらないと好きなものが
出来上がらないから、やる。がまんして、やる。
ここには、自己矛盾のかけらもない。

多分、山本さんもそうなんじゃないかな、と勝手に思う。
・・・といいながら、山本さんのこの作品とボクのアイテムでは
何百倍もその手間が違うので、同じ土俵で語ること自体ものすごく
お門違いなことだけど。

やまもとさん、ごめんなさいm(__)m。

でも、だから、その辺をよくわからずに
テマヒマだけが偉い(確かに偉いけど)というように
一元的にしかとらえられなくて、
「テマヒマかかってるからすごいのね、この布♪」
などと不用意にいっては絶対にいけないのだ。
それはかえって失礼な言葉になる。と思う。

言っちゃいそうだけど、ね。

言っちゃ、だめ。

この布がすごい、ってことだけでいいんだ。
そう。

そして、もうひとつとっても大事な事に気付いた。

なんだかんだ言いながら、ボクは結局この布を買わずに帰ってきた。

山本さんに「すごいです!!」を何回も連発していながら、
お買い上げはしなかった。

これじゃ、だめだ。

山本さんからみて、赤の他人のボクが、この作品の価値を正当に評価するには、

買わないとだめだ。

このすごい布の値札に書かれていた価格は、おいそれと手に入れることの出来る数字ではなかった。

それはそうだ。

でも、その価格の貨幣価値が、この作品の対価代償になるのだ。

その対価代償を払わずに、いくら「すごいすごい!」と騒いでも、
山本さんにとってなんにもならない。

すごい、って言うんだったら、買えよ。

と、自分に悪態をつきながら帰ってきた。

なぜ買えないか、というと、ボクにそのお金がないからだ。

こういうときに、お金がないことを心底悔やむ。

他にいろいろ買わなきゃいけないものがあるから、
このものすごい布に対してお金を使わないわけだが、

そんなことは、このすごい布と山本さんには関係ない。

おれが、「これは買えない・・」と思ったから、
買わなかったのだ。

あぁ、悲しすぎる。
すごいのに買えない。

お金が欲しい。

心底そうおもった。

お金はこういうことに使うもんだ。

そのためにお金を手に入れないといけないんだ。

うん。そうだ。

と、思った。改めて。

・・・というわけで、遅々として進まないサイトリニューアル作業を今夜もしているわけでございますm(__)m。

手染メ屋青木正明、がんばります。
今後とも宜しくお願い致します。

そして、もし時間が許せば是非このすごい布を一度ご覧になってみてください。

今日から20日(月)まで京都の錦鱗館というところで見ることができます。

もちろん、他にも沢山の素晴らしい作品が展示されています。

そして、もしどなたか雷に打たれて、値札をご覧になって対価を払えると思われた方、
是非宜しくお願い致します。

なんか、宣伝みたいだな・・・。
宣伝ではありませんので、決して。

第四回うちくい展「de-sign ―指し示す―」の詳細はこちら
http://nunupana.com/uchikui/future/

店主@手染メ屋
https://www.tezomeya.com/

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


reCaptcha の認証期間が終了しました。ページを再読み込みしてください。

Related Articles関連記事