tezomeya ブログ
宮古島にて ~その1
えっと、まず、ブログのテンプレートを変えてみました。
どでしょ?
先週、仕事で宮古島に1週間滞在した。
初めての宮古島。
沖縄は2回目だけど。
ということで、しばらくは宮古島で過ごした日々の報告でございます。
10月26日の月曜日、お昼に伊丹を発った。
なんと事前に予約したエアチケットが、
旅行代理店の倒産で知らない間にキャンセルになってる
なんていうビックリ仰天なトラブルがあったんだけど、
なんとか飛行機乗って行きました。
こりゃほんとにビックリしたよ。
まず那覇まで行って、その後小さな飛行機に乗り換えて
宮古に。
島に近づくに連れて海の色が変わってくる。
これ、飛行機の窓から撮った宮古島の海岸線。
水面がすんごいきれいだったよ。
夕刻に宮古島に到着。
その日は一週間お世話になる方たちに挨拶だけして
イワキリエミさんたちとご飯を食べてその日はゲストハウスで寝る。
翌日。
午前中はちょっと時間があったので
まずは散歩。
ここ、やっぱ違う。
日本じゃないよ。
空のたたずまいや、
空気の広さや、
タテモノや道路の風情、
いろいろなものが、
内地とは違う。
3年前に行った沖縄本島とも違う感じ。
タテモノの朽ち方が、
カッコいい。
普通にあちこちにあるんだ。廃墟じゃない。
もちろん人が住んだり店だったりしてる。
いや、バカにしてるんじゃなくて
生き物くさい。タテモノが。
ボクは決して汚いものが好きなわけぢゃないが
こんなふうに、風情を持って年を重ねていくものは
大好きだ。
こんなふうに朽ちることは決してネガティヴじゃないよ。
・・・なんて、住んでるわけじゃないから
いえるのかも知れんが。
街を歩くと いわゆる「島○○」にたくさん出会う。
島とうふ、島らっきょう、島おでん、島バナナ、島酒・・・・
みたら普通にビーサンだったけど。
いや、でも、ホント空が広くてキレイな青だ。
こんな色、染められないよ。ほんと。
で、暑い。
10月下旬とは思えない。
もちろん当たり前に半袖短パンサンダルだ。
で、ひとしきり歩いてから
いけま商店さんに。
いけま商店は宮古島きってのアート雑貨ショップ。
かわいかったり美しかったりクールだったり
いろんな雑貨を島内外、国内外から集めてるお店。
店主の池間さんと奥さんが二人で切り盛りしてる。
今回のボクの宮古島の旅が実現したのも、店主の池間さんが
ウチの商品を限定で置いてくださったり
展示会やトークショー、そしてワークショップまで
企画してくださったりしたからだ。
しかも、滞在中のアテンドまでしてくださるというご親切。
池間さん、本当にありがとうございますm(__)m。
お店を奥さんにお任せして
お昼ご飯に連れて行ってもらった。
池間さんおすすめのソーキそば屋さん。
あんまり美味しくてガホガホ食べちゃったので
画像撮るの忘れちゃったんだけど、
テビチ(豚の足)もソーキももちろんおそばも
すんごい美味しかった【^^】。
左でタバコ吸ってるのが池間さん。
ココロもカラダもでっかい人です。ハイ。
午後からは池間さんと一緒に
砧(きぬた)打ち職人の砂川猛さんのお宅に。
今回の宮古島訪問には、あの宮古上布を勉強する
のも大きな目的の一つ。
現場の人のお話を伺うために
現地の皆さんにご協力いただいて
いろんな方のご紹介を頂いた。
砂川猛さんは
「重要無形文化財砧打継承者」
いわゆる人間国宝技術保持者だ。
今は息子さんと一緒に宮古上布製作の
最後の重要な工程として欠かすことのできない
砧打ちの技術を守り継承している素晴しい方だ。
宮古上布に関しては本当に素人の、
ボクのような門外漢にもとても丁重に応対してくださった。
まず、いろいろと宮古上布に関するお話を伺う。
糸作りから染め、織り、そして最後の砧打ちまでの
段取りを話してくださった。
宮古上布のある意味で顔役としてのお立場である砂川さんが
説明してくださる話は、とても簡潔で的を得た内容だった。
おそらく、ご説明もとても手馴れてらっしゃるのだろう。
そして、実際の砧打ちの実技を拝見することに。
こんな感じで織り上がった生地を、
木槌(これが砧)で打っていく。
カーン、カーン、と以外に甲高い、そしてとても
大きな音がリズミカルに辺りに鳴り響く。
見ているととても単調だ。
でも、これ、その実とっても難しい。
重さ4kgの木槌を完全に垂直に、
そして常に同じ速度で振り下ろす。
ちょっとでも角度がつくと、一発で
生地に傷がつく。
そして、これがびっくりだったのだが、
ただ単に生地を叩くだけではないのだ。
叩いては、生地の柄のゆがみをチェックしたり、
こんな風に生地幅を計ったりして
そして、必要に応じてポンプ式霧吹きで少し
生地をぬらしたりして、
更に、濡れた部位が均一になるように
ところどころドライヤーをかけたりして、
そして、また叩くのだ。
14m弱の宮古上布の着物が仕上がるためには
この作業を12時間ほどするらしい。
・・・すごい。
気の遠くなる作業。
砧打ちって、宮古上布の光沢と風合いを出すだけの
工程ではない、ということが本当によくわかった。
織って糊付けをしたことで縮んでしまったり柄が
寄れてしまったのを、最後に修正する作業なのだ。
でも、糸の特性や織りの性質上、湯熨斗ができない。
そのために、砧で打ち続けるんだ。
砂川さんは代々砧打ちの家系だが、
若い頃、砧以外によい方法が無いか
かなりいろいろと試行錯誤されたらしい。
それで、行き着いたのが、
「やはり砧しかない」と気付いたのだそうだ。
これは砂川さんのお父さんの代から使っている砧。
年季が入ってる。とっても深い光沢だ。
これだけでも十分作品だ。
すごいカッコよかったです。この砧。
これも昔から砂川家にある砧。
よく見て。
一度切って、再び銅板でつなげてる形跡が
あるでしょ。
これ、砂川さんが若い頃、内緒で切って見たんだって。
「砧ってもっと軽くてもいいんじゃない?」
と思って、独自に砧の大きさを検討しようと
して、ためしにきってみたらしい。
そしたら、今度は軽すぎて跳ね返りが少なくて
リズムが悪くて、適度な高さから振り下ろす
ために余計に砧を持ち上げないといけなくって、
かえって疲れてしまう使いにくい砧になったんだって。
軽くすると振るのにかえって疲れる・・・。
それで元に戻したらしい。
砂川さんは、そのとき
「砧が4kgなのはちゃんと意味があるんだ」
って気付いたらしい。
これ、とってもいいお話だった。
技術には必ず存在価値と理由がある。
自分の仕事でも、こういう伝統工芸の
お話を伺ったときでも、いっつも思うことだ。
必要とされているから技術が残る。
だって、技術はそれ自体が目的ではないから。
ある目的を持ってモノづくりがされて、
そのモノが作られるために必要な要素として
要求されるのが「技術」。
要素技術として当たり前に存在できて、
はじめて「技術」だ。
用途が薄くなったけど
「この技術は残しておかないと・・・」
という回顧主義的な意味合いだけで
継承しようとすると、矛盾が生じる。
そして、必要な要素として残っている技術には
こまごまとしたところまで必ず意味がある。
その意味を理解するには、技術を新しい方向に
向けようとしたときに気づくんだ。
そう。
今回、砂川さんのお話を伺って、
改めてそう、思った。
砂川さん、本当に貴重なお話しを
ありがとうございました。
その後は、砂川さんの奥様から
苧麻(ちょま)の糸績みを教えてもらった。
大変な作業です・・。
いや、宮古上布って
本当に手間のかかる生地です。
で、これは、シメバタっていう機械で
作った柄用の糸を染め上げたもの。
ボクはこのシメバタってのがよくわからなくて
今回是非見学したいと思っていたんだけど、
そんな話を砂川さんにしたら、
次の日連れて行っていただけることに!
わーい!
ありがとうございますっm(__)m。
ということで、丁重にご挨拶をして
明日のアテンドの御礼もして、
砂川さん宅を後にした。
とても満ち足りた気分だった。
この日の夜はトークショーだったんだけど、
すごく充実した気分で臨めたので
素晴しく楽しい時間を過ごさせていただく
ことが出来ました。
ご参加頂きました方々からも
お話しや質問が出て
とってもとっても有意義なトークショーとなりました。
来てくださった大勢の宮古島の皆さん、
本当にありがとうございましたm(__)m。
そして、宮古島の二日目の夜は更けていきましたとさ。
いけま商店さん
http://ikemastore.ti-da.net/
car-g-mom(イワキリエミさんのブランド)
http://car-g-mom.com/
店主@手染メ屋
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