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オリジナルって・・・・ その3、最終!

オリジナルって・・・・ その3、最終!

・・・さて、「その2」からの続きです。

真似する、パクることでプロダクトを製作するという事の是非を倫理的側面から考える、ですね。

すみません、長くなるかもしれませんがまずいくつかたとえ話をします。

たとえ話-1
今日は著名なロックバンド「テゾメヤズ」の3回目の武道館ライブ。活動13年目にしてすでにスタジアムバンドの仲間入りです。
この日の武道館ライブもいつもの通り入場者1万人。大盛況です。先月のヒットチャートを駆け上がった曲を演奏し終わって会場は興奮のるつぼ。
ここで、ボーカルのシゲルはメンバーと前もっての打ち合わせ通り、マイクの前でフィンガースナップを四つ鳴らしカウントをとり始めます。いつもとは趣向を変えてのコピー曲の演奏。MC(曲の合間の小話みたいなもんです)ではあえて何の説明もせずに、です。
曲はトッド・ラングレンの“A Dream Goes On Forever”。あまりに悲しくあまりに美しい名曲です。できるだけ元曲の雰囲気を損なわない様にアレンジはせず、トッドがライブでやるように、カウントの後に入ってくるピアノ担当のナカイエと二人だけのデュオ構成で。
むちゃくちゃいい曲なんですよ、これほんと。なので、当然観客も聴きほれます。

ライブ会場にいる或る女子
「なんやむっちゃええ曲やなぁ。テゾメヤズ、英語の歌も作ったんやなぁ。やっぱいいわぁ。テゾメヤズ♡」
その彼氏
「え、この曲テゾメヤズのオリジナルちゃうで。トッドラングレンの名曲やん。あ、そっかボーカルのシゲルがトッド好きなんお前知らんもんな。っつうか、おまえトッド聴かせたことないよなぁそういえば。」
女子
「え、そうなん?全然知らんかったわぁ。トッドラングレンって言う人なん?へぇぇ。今度アタシも聴いてみよっと。ねぇ〇〇、今度CD焼いてな♪」
彼氏
「あ、あぁ、ええよ。おれもシゲルに影響受けてトッドの初期のころのヤツだいたい持ってるし。その代わり、今度晩御飯つくってな♡」
女子
「あ、ずるうぃ!その物々交換あたしの方が不利やんかぁ♡」
・・・などという甘酸っぱい男女の交歓が会場のあちらこちらで起こったことでしょう。
こうやってその日のテゾメヤズのライブも盛況に終わったのでした。

たとえ話-2
一方こちらは鳴かず飛ばずのJpopデュオ「クサキゾメン」。マサとタケオはもう13年コンビを組んでますが、これまでリリースできたCDは2枚だけ。一応AMAZONやItunesでも買えますが、なかなかこれだけでは食って行けず、お互い飲食バイトをしながらなんとか好きな音楽を続けています。
タケオがある日おもむろにマサに話をもちかけます。
「なぁ、マサ、トッドラングレンって知ってるか?だいぶ昔の人。こないだたまたま聞いたけどむっちゃかっこええねん。なぁ、ちょっとこの曲きいてみいな。」
そうマサに聴かせたのはトッドラングレンの“Hello It’s Me”。初めて聴く70年代初めのメロディアスなポップロック。びっくりするくらい綺麗なメロディーなわけです。
マサ
「ええなぁ、びっくりや。トッドラングレン、名前だけで全然聴いたこと無かったわ。すごいな、これ。この人こんなんばっかなん?」
タケオ
「な? ええやろこれ。あのな、この曲のコード使って、少しメロディももらいながら一曲作ろうや。絶対受けるって。もう40年以上前の曲やし、みんな知らんやろし。」
当方「そうやな。これにちょっと甘酸っぱい詩のせてつくってやろか」

そうしてできたのが “なぁ、俺やけど” という曲。
関西弁で作った歌詞とトッドの不可思議にも美しいコード進行があり得ない共鳴をしてびっくりまぐれな1曲に。そしてこれが大ヒットしてしまいます。
幸か不幸か、クサキゾメンのリスナーにはトッドの事を知ってる人など一人もいません。「なぁ、俺やけど」マキシシングルのレコーディングのときに手伝ってくれた古参のギタリストさんには「このコード進行、ハローイッツミーとちがう?」とばれてしまいましたが、彼もトッドのファンだったようでそのあとはトッドの他の曲にも出てくるコード進行の不可思議さをいやと言うほど解説してくれただけでした。

発売された「なぁ、俺やけど」マキシシングルがMP3媒体とCD媒体どちらも爆発的に売れて、クサキゾメンもようやくメジャーグループの仲間入り。なんと年末のNHK紅白歌合戦のオファーが入ります。もちろんマサとタケオは二つ返事で年末の大イベントに参加することに・・・。

たとえ話-3
ここは年の瀬差し迫った12月20日のNHKホール。紅白歌合戦の段取り合わせのために主要な出場者が一同に集まり、少しずつ音出しをしています。これからクサキゾメンのリハーサルの順番。マサとタケオは緊張と感動の面持ちでステージに。
そして、客席には少し後にリハ予定のテゾメヤズのメンバーが。彼らは3度目の出場なのでさすがにリラックスムードです。ボーカルのシゲルが初めてみるデュオバンドに何の気なしに耳を傾けます。
クサキゾメンの演奏が始まってすぐ、シゲルの顔色が変わり始めます。そしてメンバーのナカイエに聴きます。
「こいつら、なにもんなん?」
ナカイエ
「いやなんか俺らと同じくらいのキャリアらしいけど最近この“なぁ、俺やけど”って唄で一発当てて今話題らしいで。シゲルしらんかったん?」
シゲル
「“なぁおれやけど”!!?? っつうか、このコード進行まんまハローイッツミーやんか。で、曲名がなぁおれやけどって、ひどすぎひんか。こいつらトッド好きなんと違うやろ。絶対違うわ。ちょっと言っとかなあかんわ!」
と、シゲルはプンプン起こってバックステージにむかいます。
ナカイエ
「え、この曲がパクリってことあいつ言うてたん? ハローイッツミーって知ってるか?あ、トモッペは知ってんのか。お前そういえばシゲルからトッドたくさん借りてたもんな。あいつ、トッドラングレンの事になると妙に熱くなるからなぁ。そんなに似てるのこれ?おれ知らんからさぁその曲。あぁ、全く同じ・・?。そっかぁ。そりゃシゲル怒るわなぁ。」

クサキゾメンの演奏がおわって・・・。
クサキゾメンの二人
「あ、もしかしてテゾメヤズのシゲルさんですか?初めまして! 僕たちクサキゾメンって言います。同じ京都出身のテゾメヤズさんは僕らの憧れです!世代は同じですが先輩としていろいろ教えてください! 本番でもよろしくお願い致します!」
シゲル
「あぁ、よろしくです。それより、さっきの曲、あれ、ハローイッツミーですよね・・。」
マサ
「あ、はい。やっぱりわかります?コード進行そのまま使わせて頂いたので、ホント面白い構成ですよね。初めて聴いたときあんまりきれいで不思議なんでびっくりして、そのまま使わせてもらってるんです。シゲルさんもこの曲お好きなんですか?トッドラングレンのファンでらっしゃるんですか?」
シゲル
「・・・・ぼけぇぇぇ!! お前そのまんまパクリやんか! おまえら、トッド好きでやっとるんちゃうやろ!! ただ、この曲聴いてええなぁおもて、それだけでパクってるやろがぁぁぁ! ふざけんなぁぁ! しかも、何やねんこの曲名ぃぃ! 何のヒネリもないやんけ! それでバレへんおもてんのかぁぁ!? ふざけんなよぉぉ!」
タケオ
「え、あ、え? いや、もしやシゲルさんってトッドラングレンのマニアさんでらっしゃるんですか? それは本当に申し訳ないですっ! 僕ら全然知らん人で、で、たまたま耳にしてすごいええ曲やなぁっておもて、で使わせて頂いただけでして、名前はまぁなんかほかにネタもなく・・。でも、これまで誰にも言われたこと無かったですし、特に問題ないかと・・」
シゲル
「アホォォ! この、この曲がどれだけ名曲かわかってんのかぁ? もう、今すぐやめろ、この曲演奏するのは! トッドの曲勝手にパクっといて稼いだ名声と売上分、全部トッドにかえさんかぁコラぁ! ばれへんかったらいいもんとちゃうやろがぁぁぁ! 」
と、シゲルの怒りは頂点に達し、NHKホールのバックステージはもう収拾のつかないことに。
この後無事にリハーサルは終わるのでしょうか・・?クサキゾメンの行方やいかに・・・・・

すみません、少々調子に乗り過ぎました。しかも下手な関西弁ですみません。そのあたりは当方がネイティヴではないという事でご容赦を。
さて、このたとえ話。もちろんすべてフィクションではありますが、このような状況、たぶんありえるんじゃないかなぁ、という事でこれからの検証ネタとして使っていこうと思います。

まず、このたとえ話で出てきたパクり現象は2つありました。
一つはテゾメヤズがライブでカバーしたアドリームゴーズオンフォレバーです。
そしてもう一つはクサキゾメンの「なぁ俺やけど」。
テゾメヤズのカバーはパクりかどうか難しいところですね。ただ、当たり前の話ですが、唄っているボーカルも演奏もトッドではありません。トッドラングレンの著作物を彼への確認なしに(シゲルとトッドは面識がないという仮定で)複製している、と言う点では著作権侵害とトッドが訴えても仕方のない状況だと思います。
そしてもう一つの「なぁ俺やけど」も同じですね。ただ、こちらは完全に100%パクっているわけではありません。コード進行だけです。歌詞のほうは自分たちで作っているのですから、パクりの分量で言うと、まだテゾメヤズよりも罪が軽そうです。

さぁここからが本題。このフィクションの状況を倫理的側面から考えてみよう、というわけです。
倫理的な観点などと難しい言い方をしましたが、これは結局のところ、「心情的・常識的にOKか否か」ということですよね。
法的な見方とは関係なく、「それはあかんやろ」と思うか、「それはいいんちゃう?」と思うか、です。
法的な側面の話はその2で散々しましたので、もうそれは考えないことにしますよ。

まず、テゾメヤズがライブで真似をして演奏をしたアドリームゴーズオンフォエバー。これはおそらく誰も「あかんやろぉ」とは思わないんじゃないかな、と思います。ひとつには、真似だと気づかない人がいますね。トッドラングレンを例えに出したのはそのためなのですが、日本ではそんなにむちゃくちゃ有名ではありません。本当に素晴らしいアーティストだと思うのですが(特にデビューから4枚のアルバムはもうほんと珠玉のレコードです個人的に)、偉そうに言うわけではないですけどそこそこ昔のロックに興味を持ってる人じゃないとたぶん聴きません。気づかなければパクっていることも気づきませんからもちろんセーフ。なんなら、たとえ話で話していたように、彼氏が彼女にトッドを紹介できる良いきっかけができてありがとう、なんて感謝の気持ちまで出るくらいの事です。パクってるのに。

次に、クサキゾメンがつくった「なぁ俺やけど」。こちらも、テゾメヤズと同様リスナーは気づきませんでした。テゾメヤズのリスナーのほうはまだ、ボーカルのシゲルがトッド好きだということを常日頃から公言してるおかげでその影響で聴いてる人もいて気づくかもですが、クサキゾメンのリスナーの中にはそんなマニアな人はいません。だから誰も気づかないわけですね。そしてプロデューサーやスタジオミュージシャンの中でも気づかない人もいる。気づいた人もいますが、古参のギタリストさんは「あぁおもろい曲持ってくるなぁ」くらいに思ったのでしょう。彼は、トッドなんか知らない若者でもトッドの音楽にやられてしまったことが嬉しくてトッドの解説をしたのかもしれません。すなわちこの時点まではこのパクりも問題ないわけです。
ですが、テゾメヤズのシゲルが出てきた時点で突然アウト、ですね。彼はおそらくトッドラングレンがクサキゾメンによって冒涜されたと思ったのでしょう。ポッと出の才能も大したことない(と勝手にシゲルが思っている)奴らが、たまたまトッドの素晴らしい曲に出会ってしまって、それを使ってのし上がってきた、と。これはもう確かにトッドの熱心な理解者であればゆるせないでしょう。
何度も言いますが、ここで、クサキゾメンのパクリは倫理的にアウト、となります。

さぁもう一回パクりの状況を整理してみましょう。

1.テゾメヤズのパクり
・パクった分量:ほぼ全部
・アウトかセーフか:セーフ

2.クサキゾメンのパクり
・パクった分量:コード進行だけ
・アウトかセーフか:最初はセーフ。その後一部の人に完全アウト。そしてその一部のアウトの価値観が広がり世の中すべてアウトになる可能性有り

パクってる量が多い方がセーフで、パクってる量が少ない方がアウト、ということになりますね。
もちろん当方がそうなるようなたとえ話を持ってきたのでここには当方の作為がありますが、上記の例え、それほど無理なたとえ話ではないですよね。一般的に考えればパクる量が多ければ倫理的にアウトでパクる量が少なければ倫理的にセーフ、と言えそうなもんですが、そうでもない。要は何を言いたいかと言うと、倫理的にアウトかセーフかと、パクる量とはほぼ関係ない、という事が言いたいのです。

もうひとつ、どちらもパクりを行った際にはパクっていることを言ってませんね。でも、テゾメヤズのパクりとクサキゾメンのパクりでは決定的な差があります。それは「テゾメヤズはトッドラングレンをパクる可能性がとても高い」ことを知ってる人が少なからずいる、という事です。なんせボーカルのシゲルはトッドの熱狂的なファンで常にそれを公言しているのですから。
オアシスの曲がビートルズの曲みたいに聴こえても、B’sの曲がツェッペリンの演奏のように聴こえても、サニーデイサービスの歌詞がなんか松本隆が書いたみたいに耳に入ってきても、だれも文句を言わないのです。そもそも気づかなければ「いい曲だな」だし、両者の類似に気づく人は、ノエルギャラが―がポールマッカートニーオタクだとか、B’sの松本さんがジミーペイジ好きだとか、曽我部さんがはっぴいえんど好きだとか、そういうことを知ってるから、パクってしまうのはしょうがない、と思うんですよこれ。

逆に、「パクってます」とか「パクる可能性有りますよ」という態度を一切見せずに黙ってパクって、それがばれると、「アウト!」と評する人が出てくるのです。これはしかし気づいた人全員がアウトと判断するわけではないのですよね。というのは、パクられた人とパクった人とそれに気づいた人の複雑な関係性で変わってくるから。そして、どのような関係性であればアウトやセーフなのか、と言う分かりやすい線引きもおそらくできないと思います。複雑すぎて。
上記の例で言えば、スタジオミュージシャンだった古参ギタリストもテゾメヤズのシゲルも同じくトッド好きですが、それぞれ好き度合いが違ってたのかもしれないし、クサキゾメンに対する思いも違うのでしょう。そのお互いの複合的な関係性で、ギタリストはOKでシゲルは完全アウトだったのです。
ただ、ややこしいことに完全アウトと評した人が発言力のある立場だと、これはたちまち社会的にアウトになってしまう可能性が高いです。上記の例のように有名バンドの実力者が「あいつはパクりだ!」と言われることでクサキゾメンのバンド生命は絶たれるでしょう。新聞などの大きなマスコミにすっぱ抜かれても社会的完全アウトでしょう。

そして、怖いことに現代はそれほど発言力があるわけでもなくマスコミでもないたった一人のネットユーザーがスキャンダル的にアウトを言ったことがSNSなどでどんどん口コミ広がり、あっという間に完全アウトになる可能性もあります。

もう一回言います。パクる行為や真似の行為が倫理的にアウトかセーフかは、その量ではありません。そのパクり方でもないと思います。
パクった元ネタを開示できているかどうか、です。開示しなくてもセーフのままいけることはあるでしょう。が、一度それをすっぱ抜かれると、タイミングによっては突然社会的に完全アウトになる可能性を秘めているのです。

「グラフィックデザインでは、真似していいところと悪いところがあるんだよ。そんな分量だけじゃないって」
というご意見があるかもしれません。
それでは、同じように真似してよいところと悪いところがありそうなファッションデザインを例にとってみましょう。
例えば当方の個人的な見解としては、衣類の企画に関して
「サイズスペックを採寸したり設計の真似はそれほどアウトとは思わないけど、使用生地まで一緒にパクるのはアウトかなぁ」
と思っています。
ですが、これはあくまで当方の尺度。デザイナーによっては素材の真似に全く無頓着だったりしながら、
「採寸どころかそもそもパターンや形状をパクるのは絶対にダメ!」とおっしゃる方もいらっしゃいますし、
「服の状態で採寸だけしてパターン作り直すのならまだOKだけどその服の縫い糸を外して分解してパーツに分けてパターンコピーするのはアウト」
とおっしゃるデザイナーの方もいらっしゃいます。おそらくグラフィックでも、プロダクトデザインでも、そんなような状況なのではないかと思うのです。すなわち、常に同じ価値判断基準でどこまでの真似ならよくてどこまでの真似はよくない、といった明確な線引きは不可能だ、と。

今回の東京オリンピックロゴも、本当に人によって「似てる」「似てない」で意見が分かれてますよね。
これは結局、観察者によって観点が違うからです。それは或る意味当たり前です。というのは、その人その人がこれまで生きてきた中で仕入れてきた情報が違うために、同じインプットが入ってきてもそれに対して評価をする“判定機”の構造がそれぞれ微妙に違うのです。

ということは、パクってもアウトにならないためには、もうこれはパクった元を常に開示するしか方法が無いのだと思います。
そして、大なり小なりモノづくりは必ずパクリの集積で成り立っています。
ということは、常に倫理的にセーフなモノづくりをするためにはプロダクトアウトごとにその構成要素のソース元表示を常に行う、という事になります。

今回のように、パクったパクってないという話がどんどん出てくると、おそらくプロダクトデザインすべてに、今の食品のような「ソース元成分表示」をするような動きになるのではないかと思ったりします。でも、そうすることで、かえってみんながストレスなく疑心暗鬼なくモノづくりできるようになるのかも知れません。
「モノを作るのはパクりから!」
という概念が一般的になるからです。

『「良いモノ」とは常に「オリジナルなモノ」で、それは人真似で無い事』

そういう絵に描いた餅のような本当は正しくない標語がなぜかモノづくりの土俵にずっと祭られ続けているような気がしてなりません。
「モノづくりはパクリから!」が一般にも浸透することで、こんな型っ苦しいわけのわからん息苦しい世界がなくなるのではないか、と思うのです。

今回の佐野研二郎というデザイン事務所で起こったサントリーバッグデザインのトレース事件。
これはオリンピックロゴと全く違う次元の問題と個人的には思っていますが、佐野研二郎さんが謝罪で述べた言葉をすべてそのまま信じるならば、最も問題なのは
「担当デザイナーが他人のデザインソースをトレースしたことをディレクターである佐野研二郎に言わなかった」
ことですよね。このトレースが社会的に大丈夫だったかどうかというのはディレクターが自分の倫理観で判断するしかないと思います。例えばトレースしたデザインが素晴らしく秀逸だったのであれば、デザイン使用料を支払って使わせてもらうという手もあったでしょう。これも倫理的措置の一つです。そういう判断をディレクションしてもらうだけの情報を担当デザイナーが与えられなかったことが問題だと思います。
そして、なぜそうなったかと言うと、やはり「パクりはだめだ」という概念があるからじゃないか、と個人的に思うのです。
パクることはモノづくりの前提です。で、どのパクりがよくてどのパクりが悪いかというのは絶対的な判断が無い以上、開示して倫理的問題を回避するしか方法無いと思うのです。

じゃあガンガンパクってデザインソースを全て開示していけばすべてが良いモノになるのか、と言う話もまた別です。いまここでは倫理的な話しかしてませんから。

何度も何度も言うように、真似は基本です。そして、いくつの構成要素の真似からできているのか、その要素のバランスはどうなのか、どのような構成でその真似ている要素を組み込むのか。そのトライアンドエラーで経験値を積むことで「良きモノ」が出来上がる率が高くなるのではないかと思っています。
その経験によって、どんな要素をどのように使えば良きモノができるかがわかっている状態が「センスがある」という事の一つの説明だとも思っています。
でも、これとパクリの倫理的側面とは全く別物です。せっかくできた良いモノを倫理的側面からアウトになってしまい社会的に抹殺されないために、デザインソースの開示をするのです。

・・・長々と書きながらなんだかよくわからん方向になっていきましたが、手染メ屋としては今後更にできるだけデザインソースの開示をしていこうと思います。これは出来上がる服に関してだけでなく、これまでも行ってきたような染色工程や染料やその手法などに関してもできるだけ詳しくしていきたいと思います。

もしかしたら本当に来るかもしれない『デザイン構成成分表示義務化』にしっかり対応ができるように・・・。

以上です。長々とお付き合いくださりありがとうございましたm(__)m
ご意見、ご指導等是非またお待ちいたしております。

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