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大学で教えるということ

本日、京都造形芸術大学での非常勤講師としての最後の講義が終わった。
最後は試験だったので、厳密に言うと講義ではなかったが。
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2009年から7年間、主に染色概論を担当させて頂いた。これ、基本的には座学。
美大や芸大の学生さんは当然のことながら手を動かすことの方が得意で好きなわけで、そういう聴講生を相手に染色のメカニズムを科学的見地から資料と板書で説明するなんてもう、「どうぞ寝てください」と言っているようなもんなわけですこれは。
そもそも実際的な染色技術やそれにまつわる使える知識を実演無しで教えるなんてのは、キッチンも材料もコンロも鍋もないところで料理教室やるようなもんです。ちゃんと覚えて頂いたとしても使えないかもしれないし、そもそも頭になかなか残らない。

なので、聴講学生に最も会得して戴きたい内容はいわゆる『科学する目』を少しでも持ってもらう事、にしてた。

例えば空から雨が降ってくる現象って、よくよく考えてみるととてもとても不思議なことだ。「なんで雨が降ってくるの?」をちゃんと(このちゃんとって言うのはここでは科学的演繹的にっていう意味)理解しようと思うと、古典物理学やら熱力学やらそこから派生するマクロな気象学やらいろいろそれなりの情報と知識体系が必要になってくる。
「なぜ?」と思う衝動に沿ってさまざまな情報インプットをする羽目になるわけだ。幸いにして今の世の中調べようと思えばかなり詳細なところまでお金と時間をそれほど使わずに調べて情報収集できるので、その筋の専門家になろうなんてほどでなければ、たいていの情報は得られる。で、収集した情報をロジカルに整理して頭の中に知識体系として組み込む。

これが当方が勝手に考えてる『科学する目』だ。

「なぜ?」って思って情報を収集して、それを体系立てて整理。そうすると、少しだけ新しい物の見方ができたり、その知識体系を経ることで少しだけ新しいアウトプットを出すことが出来たりする可能性が増える。

そして、美大芸大の学生さんたちは、この手のシステムを会得していない人たちが多いような気がする。モノづくり、すなわち常にアウトプットを出さないといけない彼らが、科学する目を使ったインプット方法を知らないのはとてももったいないなと思うのだ。
科学する目を少しでも身に付けてもらって、これまでとは違う情報インプットができてこれまでと少しだけ違う情報処理が出来れば、少しだけ違うアウトプットを出すことができるかもしれないわけです。

講義では、だから化学式を覚えてもらうとかメカニズムを覚えてもらうとかと言うよりも、普段何気なく目や耳やカラダで感じていることが、実はこんなに不思議な事なんだっていうアプローチで進めるようにしていた。
脱線ばかりでカリキュラム通り進まず、学生から「ちゃんと染色概論の話もして下さい」なんて指摘されたこともあった。

が、毎年、何人か(残念ながら本当に数人だが)からは、これまで大っ嫌いだった理科が大好きになったなんていう嬉しい感想ももらったりした。
7年で、何人の美術芸術系学生に科学の目が宿ってくれたのかなぁ。それだけが気がかりです。

大学生に講義をするってのは、講義をする内容の何倍もの量と質の知識体系がこちらに無いとだめなので、特に最初のほうは講義する時間よりもずっとずっと多くの時間を割いて当方の知識体系の再構築に努めなければいけない事が多かった。でも、それが結局当方の新たな知識と経験になったわけで、よく言われることだが、教えながらこちらが教わることがとても多かったです。改めて期間延長までしてくれて講義担当させて頂いた京都造形芸術大学美術工芸学科の担当先生や職員さんたち、そして何よりも当方のダラダラとした講義を我慢強く聴いてくれた聴講生たちにお礼申し上げます。

ありがとうございました。

なんか、今日が最終日だったんで少しおセンチになってます。
おセンチなオッサンほど気持ち悪い存在はないな。すんません。

またどこかで教えられたらいいなぁ。

何処か非常勤で雇ってくれないかなぁ・・・。
(って結局それかよって感じですが)

手染メ屋
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