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山形紅花ツアーに行ってきました

山形紅花ツアーに行ってきました

今月の16日(土)と17日(日)開催いたしました『山形紅花ツアー2016』。
募集にお応え下さった関西、中部、関東、北陸、東北からご参加の15名の方々と山形の現地ボランティアスタッフ井上様親子さん、そして手染メ屋スタッフ3名の計20名で、梅雨の合間をぬって紅花の旅に行ってまいりました。

楽しいだけでなくとても勉強にもなる一粒で二度おいしいイベント(自画自賛すんません)だったのですが、備忘録も兼ねてこちらでイベント開催報告をさせて頂きます。
なお、この報告ブログの画像は全てご参加下さった渡部瑞穂様からご提供いただきました。
渡部様はプロの写真家さんでして、『昭和な家スタジオ』の主催もされています。渡部様、画像のご提供を頂き本当にありがとうございました!

事前の天気予報は二日ともぱらぱらと雨が降りそうな予想だったのですが土曜日になってみれば時折過ごしやすい曇り日。予定通り12時にみなさん山形駅集合頂き、そのまま貸切バスで最初の訪問先、白鷹町の今野正明さん宅へ。
今野さんは地元で町会議員さんもお勤めされている方で、「紅花の館」という名で山形の紅花と紅餅作りの普及に努めてらっしゃる大きな農家さんです。

到着すると、干してる紅餅と乱花が。
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この時期は紅花収穫時期の後半戦に突入したばかり。今野さん宅でも紅餅作りで大忙しとのことで、大わらわな時期に大人数でお邪魔してしまい申し訳ありませんでしたm(__)m

到着して早速今野さんに紅花の花の摘み方を習い、まずは皆で畑に出て花摘みをします。
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「花を掌で受けて、親指を花の上に乗せて親指と人差し指で挟んで花弁を採って掌に乗せます」
と言われるんだけど、これがなかなか難しい。みなさんほうぼうに散って花を摘んでは腰に下げた編袋にためていきます。
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ひとしきりしっかり取った後は、紅餅の作り方のお話し。
採った花弁を水で洗います。花弁は黄色が多いうちに採取するのですが、そこから洗いと醗酵を経て紅花は赤みを増します。
4~5日かけて徐々に赤みがついた花弁。
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しっかり赤みがついた花弁を、小さく丸めてせんべい上にギュッと押しつぶして、上下ひっくり返して干しあげて、紅餅の出来上がり。
紅花は本来日光に強くないので、短時間で一気に干せるように小さく平べったくして、1日の天日干しで仕上げるそうです。
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紅餅の作り方を教わった後はいよいよお手軽紅花染め体験。
今野さんが事前に用意して下さっていた紅花の染め液に、みなさんそれぞれ思い思いの絞り柄を付けた綿ハンカチを染め入れます。液の中でくゆらせて、お酢を入れてもらって(紅花の色は酸性で定着します)、できあがり。
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たっぷり3時間近くの紅花摘みと紅餅作りと染め体験をして、今野さん宅を後にしました。

次に向かったのは、蔵王の寒河江(さがえ)さん宅。寒河江正雄さんは代々続く養蚕農家さんです。79歳とは思えないかくしゃくとした立ち居とお振る舞いで、蚕を育てて繭にするまでのお話を伺います。
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山形は特に明治ころから養蚕も大変盛んで、長野や桐生に次ぐ生産地だったそうですが、他の名産地と同様山形もご多分にもれず現在の生産量は大変少ないです。昔はあちらこちら養蚕農家さんばかりだったのですが、現在は県内でも数軒程度。育った繭は全て酒田の糸屋さん(株式会社松岡、あの松岡姫で有名なところです)に出荷されるそうです。
残念ながらこの時期はお蚕さんがいない時期だったのですが、そのぶん広い養蚕場で白いイモムシさんのお話をじっくりうかがいました。
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写真が無いのですが、上を見上げると、ところどころに成虫になったお蚕さんが。。もちろんお亡くなりになっているのですが、あまりに白いその姿、少し神々しかったです。そして、初めて知ったのですが、お蚕のイモムシさんでも糸や紐を這って登って行くんだとのこと。絹の品種改良の本を以前読んだ時に、蚕の幼虫の脚は退化してしまい平地でしか這うことができない旨の内容を見たことがあったのですが、そんなことないんだな、と。やつらもしっかり虫なんですね。

寒河江さん宅を後にして、本日の宿、蔵王温泉「ロッジちとせや」さんに到着。蔵王は外風呂も多く皆さんあちらこちらのお風呂を楽しんで、夜はジンギスカンを頂きました。
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食事の後も宿のロビーで宴会は延々と続くのですが、それはまた別のお話しで。
近くの川の水音を聴きながら心地よくお布団に入りました。

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二日目はロッジちとせやさんをあとにして一路河北町へ。「紅花資料館」に向かいます。
途中、井上さんお母様と運転手さんの粋な計らいで、山形名物大芋煮会に使われる特大鍋を観てきました。
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でかかったなぁ。

紅花資料館は、かつてこの地域きっての富豪だった堀米家の御屋敷で、その建物や庭を改築し河北町が運営しています。
紅花にゆかりのあるものを含め、五千点もの貴重な遺品が保存されている専門資料館で、こちらに訪れるのは個人の訪問も含めて3回目。大好きな資料館です。
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そして、この資料館を十二分に楽しむのに必須なのがガイドさん。あらかじめお願いしておけば、なんと無料で専門のガイドさんがついて下さいます。そしてそしてこの資料館の名物ガイドさんといえば、真木さんです。
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真木さんなんと今年で90歳! しかし、卒寿を過ぎたとは全く思えないお元気ぶり。8年前と全然変わってません。どちらかというとパワーアップされたのではないか、と思うくらいのガイドぶりでした。
現在もヨーロッパで活躍されている著名バイオリニストの堀米ゆず子さんはこちらの御本家の直系子孫さんでして、その“ゆず子お嬢様”のお話しなども織り交ぜながら山形と紅花の切っても切れない縁のお話と解説をたくさんしていただきました。

建物内は撮影禁止の為あまり画像を出せませんが、本来なら入れないお部屋や触れない貴重品にも、御赦しを得てさわったり開かずのお部屋に入れて頂いたりと、とても楽しく勉強させて頂きました。
真木さん、また次回もなにとぞよろしくお願い致します!!

この紅花資料館の訪問でもともとのツアー内容は終了なのですが、これも井上さんお母様のお取り計らいで、中山町にある柏倉家に訪問しそこでの貴重な遺品の見学と、更に更に山形大学人文学部教授の岩田浩太郎先生のミニ講義までしていただけるというオプショナルイベントをおまけで開催いたしました。

紅花資料館からバスで20分くらいで柏倉家に到着。
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中山町の紅花保存会の方たちが育てていらっしゃる紅花の乱花が干されていました。
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こちらの柏倉家もこの一帯の大富豪。こちらの御本家はなんと今もお屋敷にご当主がお住まいでして、ご当主さん御自らお屋敷をご紹介頂きました。たくさんの珍しい遺品(というか今でも使える超絶工芸品)を拝見させて頂き柏倉一族のご繁栄の歴史に心を馳せながら、岩田先生のお話しに突入。
先生は江戸時代の経済学がご専門でして、柏倉家をはじめとした山形の大問屋に残る古文献や記録を調査しながら、当時の最上地方の隆盛を古経済学の視点から研究されています。
柏倉家の蔵の一室をお借りしてのレクチャー。最上川流域を中心とした江戸時代以降の紅花と経済のお話し。例えば紅花は連作による収量減があるため換地農法(1年ごとに違う作物を植える)を早くから採用していたこと、ひとつの農作物や業種に特出することなく、収益分散をしていたこと、明治になってからは合成染料の台頭による紅花衰退を早くから受け入れ養蚕に転向していったことなど、とても実質的で端的なお話を伺えました。本当に勉強になりました。そして、ツアー最後の仕上げのお話としても十二分すぎる内容でした。岩田先生、ありがとうございましたm(__)m

そして、講義の後はこちらの柏倉家で目出度く解散。みなさんお近くのJR羽前長崎駅にもどり、そこから帰路につきました。

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今回のツアーも本当に充実した内容となりましたが、そのためのとても重要なお働きをしてくださいましたのが、現地のボランティアスタッフとしてご参加いただきました中山町紅花保存会の井上節子さん、
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そして、ご長女の理恵さんでした。
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ご訪問先のご紹介だけでなく、訪問ルートのご相談やはたまた二次会のお手配。岩田先生との橋渡し、特に最後の柏倉家さんとのコネクションは全て井上さんあっての内容でした。二次会の宴で頂いたお漬物やさくらんぼやお酒、ほんと美味しかったです。井上さん、本当にありがとうございました。

そしてそして、やはりなにより今回のツアーが楽しかったのはご参加下さった皆様のご協力のおかげです。
ご参加いただきました皆様、本当にありがとうございました!また是非別の機会でご一緒させてくださいっ!
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手染メ屋
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