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tezomeya的モノづくり論 ~技術について

tezomeya的モノづくり論 ~技術について

tezomeya的モノづくり論 〜導入編 で、伝統のことを書き終えた時点で、

「あ、そうだ。そもそも技術のこと書かなきゃダメじゃん・・・」

ということに気づきまして、本編に入る前にもう一つだけちょっと書かせて頂こうかと思います。
ちょっと、なんて言いながら長くなりそうですが。

“技術” とは?

まぁ、この言葉をわざわざ広辞苑で調べることもないかもですが、なんかこれまでの流れ的に一応紹介しておきますね。

①物事をたくみにおこなうわざ
②科学を実地に応用して自然の事物を改変・加工し、人間生活に利用するわざ

とのこと。そんな感じですよね。
素材(多くの場合自然から供給される無垢のモノ)を、人間が手を加えて、私たちの生活に役立つ特定の目的に沿った別のモノに変換してゆく一連の流れ、ですよね。

個人的には、技術とは数学でいうところの関数のようなものかな、と思っています。
素材がxで、出来上がったモノをyとして、もしy=f(x)という関数で表せたとしたらfが技術、といった感じです。

そして、もっと言うとfはそんなに単純な関数では全然無い、と思っています。
だって素材が複数あったりすると多変数の関数になるでしょうし、変数の中には素材だけでなくて周りの環境など人間がコントロールできない事象も変数として入るでしょう。なので、xとyだけの単純な関数ではなくて、変数が5つも6つも、いや10個や20個なんて当たり前のような極めて複雑な多元の関数になるんだと思います。
いわば、とってもたくさんの情報処理演算式が複雑に絡み合った構造をした、とても1つの式なんかでは表せないような関数、そんな理解です。

技術って、ほんとすごいですよね。特にこの仕事を始めてからは、人間がこれまで培ってきた様々な技術の一つ一つ全てに敬意を表さずにはいられなくなっております。

でも、ここで私の中で絶対忘れてはいけないと常に考えていることが有ります。
それは・・、

技術の価値が、その技術によって出来上がったプロダクトの価値より上であることはありえない

です。

そんなの当たり前じゃん、って言う方、はい、その通りです。
こうやって、言葉で書くと、ごく当たり前のことのように聞こえます。

でも、そう取られていないと感じる時があります。
それは、例えばもうすぐ後継ぎがいなくなってしまって途絶えてしまう或る技術。そういった時に、なんとか技術を残そうとすることがありますよね。
これ、個人的には、良く考えるとおかしな状況だ、と思います。

なぜその技術が途絶えるのか。
それは、端的に言って、その技術がその時代の社会で必要で無くなったから、ですよね。
これをもう少しちゃんというなら、その技術を経て完成するプロダクトが、その時代の文化の価値観にそぐわなくなり、プロダクトが存在意義を無くしたから、芋づる式に技術も必要なくなってしまった、と言うことなのだと思います。

この、”プロダクトが存在意義を無くした”と言う状況は細かく考えると具体的にいくつも場合分けが出来そうですが、おそらくすべての状況に共通して言えるのは、
「その文化の中で流通経済の健全なサイクルに乗せることができなくなった」
の一言に尽きるのではないかと思います。
状況的には、そのプロダクトの持つ機能自体が必要で無くなったというのが一番わかり易そうですが、そのほかにも、同じクオリティの機能を持つ別の格安なプロダクトの進出により価格競争で勝てなくなったということもあるでしょう。大きくはこの二つぐらいしか思いうかびません。

いずれにせよ、そのプロダクトが必要ないものとなれば、当然技術も必要ではなくなってしまいますよね。その状況で、技術を残しておこう、というのは、なにか、中身の本が無くなってしまっているのに外函だけ大事に置いておこうとしているように思えてしまうのです。

「跡継ぎがいなくなったからとか、道具が手に入らなくなったからとか、そういう何ともならない原因で技術が無くなるケースもあるじゃないか!」
はい。そういうこともあるでしょう。ですが、なぜ跡継ぎがいないのか。それは、簡単に言えばその技術が魅力的な仕事ではなくなってしまっているからですよね。
大金持ちになれないにしても、ちゃんと安定した生活ができる稼ぎがもらえるならば、実子や外弟子に限らず跡継ぎは付くはずです。
道具が手に入らなくなるのも、プロダクトと技術の関係性と同じで、その技術が必要で無くなりそうなのでその道具を作る人も辞めちゃった、ということが多いと思います。

残念ながら、簡単に言えば、儲からなくなったプロダクトは消えて行き、それに伴って儲からなくなった技術も消えてゆく・・。
そんな悲しいことで、技術は無くなっていくんだと思うんです。

何度も同じことを言いますが、そんな状況では、文化の価値観に即したプロダクトを作り続けるというモノづくり経済の中で、技術だけを残すことに何の意味があるのか、と失礼ながらいぶかしがります。

・・・なんて、こんなことを言っていると、こいつは文化の価値なんて全く分かっていないとか、なんて冷血なんだとか、そんな批評をされそうです。
確かに文化の価値をわかっていないのかもしれません。ただその文化はその批評された方の定義している文化であって、私が個人的に定義している文化ではないかもしれません。
そして冷血かどうかは分かりませんが私はとても性格が悪いので、そこは当たらずとも遠からずかもしれません。

 

ちょっとここで、「無くなっていく技術」に関して私の仕事に関係する例をあげてみます。

「烏梅」というお薬があります。「うばい」と読みます。これ、染色用の助剤にも使われるものでして、言ってみれば梅の実の燻製です。収穫した梅に煤をまぶして、それを1昼夜燻蒸した後に天日干した、いわば梅の保存用乾物です。
こんなのです。

お薬としての使い方は良く知らないのですが、染色用助剤としての使い方は、この烏梅をお湯などに入れて一晩置いておきます。すると烏梅の中のクエン酸が溶け出して酢水となります。その酢水を紅花染めなど酸性の液が必要な際に使用します。

この烏梅、現在絶滅の危機に瀕しています。というのは、現在この烏梅を作って下さる方は奈良県月ヶ瀬村にいらっしゃる中西さんというご年配のご家族一軒のみだから、です。
中西さんは9代目。梅で有名な月ヶ瀬村には江戸時代など大変多くの烏梅農家がいらっしゃったそうですが、紅花をはじめとした天然染料の衰退と、クエン酸自体が大量に作れるようになった今では、これを必要とするのはごく一部の染色家のみ、となってしまっています。
中西さんのお宅には2017年に聞いた時点では残念ながら跡を継ぐご予定の方もいらっしゃらず、70歳台の中西さんが廃業すると、この烏梅は無くなってしまう、と言う状況です。

なぜそんなことになるのか。
ご想像の通り、簡単に言えば烏梅を使って出来上がるプロダクトが廃れてしまったから、そして安価でお手軽な代替品が出てきてしまったから、ですよね。

でも、私達にとってはそれでは話は終えられません。
なにせ江戸時代の紅花染めの復元を精密に行うには、烏梅でないとだめなんですから。
それは決して「やっぱり昔のモノを作るには昔の材料でないと角がたつよね・・」といった、根拠があるんだか無いんだかわからないような理由ではありません。
理論的にはクエン酸を使用した酸性の水であれば良い、となるので烏梅の代用品としてクエン酸利用すれば十分復元になるのかもしれませんが、なにせ烏梅は元が生き物ですから1晩お湯に浸けたらクエン酸以外にもいろんなものが出ているはずです。
それらの夾雑物 -化学実験で言えばさしずめコンタミになるのでしょうけどー が、紅花の染め色に何らかの影響を及ぼしている可能性があります。
すなわち、クエン酸純度100%の白い粉を使用して作業してしまっては、烏梅の夾雑物の影響もあって素晴らしい彩りになっていたのかもしれない、江戸時代の紅染めの色を復元できていない可能性が高い、と言うことになります。

正直に言いますと、私もたいていの場合はクエン酸で代用しています。ですが、古代の染め色の研究と実践、そして時折ご依頼頂く古代の染め方法による染め色のお仕事などの場合には、この烏梅とこの烏梅の製造技術は極めて重要で必要な対象となります。

ですが、無くなってしまう可能性が高いので、私としては、烏梅と同じように古来使われていた剥梅(むきうめ、梅の実を乾燥させてカチコチにしてその実を細かく刻んだもの)を自分で試して作ってみたり(こちらの方が簡単に作れるので)、機会があれば中西さんのところに行ってどうやって作っておられるのかを見せて頂いて自分で出来るかどうかの検討などもしたいなどと身の程知らずなことを考えています。

「あれ、技術を残したいと思ってるじゃん!話しが違うんじゃないんですか?」
はい。そうです。この場合、個人的には烏梅の製造技術を残したいと思っています。ですがそこには「紅花の古代の色を復元したい」という動機が先行しています。グロかわいいこのフォルムも個人的には好みですが、私にとっては烏梅の先にあるプロダクトが重要なのです。

他の染色家さんもおそらく同じようなことを考えておられるのだと思います。もしかしたら、吉岡幸雄さんのような著名で力もおありな染色研究家であればもうすでに継承者を中西さんにあてがっていらっしゃるかもしれません。

ですが、逆に言うと、烏梅を本当に今の時代必要としているのは、そんな程度の人数です。残念ながら現代のモノづくり経済に乗るほどではありません。
私などがいくら頑張って自力で烏梅を作ったからと言って、江戸時代の頃ような烏梅産地の栄華を復活させることはできません。
そして、もちろんこの程度の頑張りで中西さんのお宅がそのままこの先10代、11代と続く原動力にもなりません。

何が言いたいのかと言えば、技術を残す、というのは、ある程度の規模で流通経済に乗った形で、ということが前提にあります。だって、廃れる以前はその時代の文化の価値観に認められていたわけですから。
それなりの規模のモノづくりサイクルだった昔に出来るだけ近づけよう、というのが、いわゆる「技術を残す」と言う行動になっているのだろうと思うのですが、残念ながらプロダクトの存在意義が無くなっている時点で、それはかなり難しい宿題です。

残念ながら、ある文化の中でプロダクトの存在意義が無くなった時点で、プロダクトの従である技術もその規模での存在意義は無くなってしまうのだと思うのです。

ただ、プロダクトの存在価値がゼロになるわけではもちろんないので、とても小さな規模でそのプロダクトを作るためにそれに従う技術も細々と残る状況は十分あると思います。

革新として生まれた技術が栄華を誇り一時代を気づき、そしてやがて衰退して細くなっていき、ろうそくの火がいつの間にか消えるようにすぅっと無くなって行く・・。
技術ってそんな感じなんだろうと思います。時代の変化にはなかなか抗えないのだろう、と。

 

 

tezomeyaを初めて2年か3年ほどたったころ、あるお話しを伺いました。京都西陣の機料屋さん、佐内機料の店主である機料職人の山口さんとお話しをしていた時です。

山口さんはとても質の良い素晴らしい機(はた)を組み立てるので評判の機料職人さん。若輩者の私が言うのもなんですが、山口さんはお人柄も素晴らしい方で、個人的に私のお気に入りのおじいちゃんでした。tezomeyaにも1台作って頂いた御縁で、たまに遊びに伺ってはいろいろ教えて頂いていました。

山口さんは仕事場でも全てお一人で作業をこなしておられたので、あるとき私が
「お手伝いさんとかお弟子さんとか、どなたかいらっしゃらないんですか?やっぱりこの仕事ってむずかしいんですかね」みたいなことを何の気なしに聞いたんです。

山口さん
「いやぁ、仕事を誰かに教えて手伝うてもろたり、継いでもろたり、いうのはだいぶ前にあきらめたんですわ」
「息子は違う仕事をしてそっちで成功してるし、たまに修行に来る子もおるけど長続きしませんのや。それに、西陣がもうこんなんでっしゃろ。今の私の仕事もあと何年だいじにしてもらえるかわからしまへん。」

当時西陣織物会館の手織機は全て山口さんの手のものでしたし、腕の良い織手さんの多くは山口さんの機を使っておられたようです。私が良く知っていた素晴らしい綴織りの職人さんも、山口さんの機でないとだめだ、とおっしゃっていました。
それでも、やはり時流の波には逆らえず、ふんだんに仕事があるわけではないのです。
結局息子さんに継いでもらえるほどの仕事もないし、一人前になるには10年はゆうにかかってしまうけどそこまで仕事があるかどうかも分からない。そういった状況で、山口さんは跡継ぎを作ることを何年も前にあきらめたそうです。

そんな話を聞いて、当時まだまだ青く何も知らなかった私は破廉恥にも軽々しく「そんなのもったいないですよ!こんな素晴らしい腕を持ってらっしゃる山口さんのお仕事を誰も継がないなんて!」みたいなことを無責任に言ったんです。

その後の山口さんの言葉は今でも忘れられません。
「結局のところ、私のこの機を作る腕はいらんようになってしもたんや、そういうことやと思てます。せやから、今、私がせなならんことは、精一杯ええ機を作って残しておくことなんや、と思てますのや」

結局今の時代、仕事としてはもう成り立たなくなってしまった機料の仕事。だが、もし、何十年か先、もしくは何百年か先に、もう一度、万が一、手織りの仕事が脚光を浴びた時に、機さえ残っていれば、その機がもう動かなくても、やる気がある人間であればそれを分解してどうやって作っていたのかを調べるはずだ。

そうなった時に、どんな木取りをしていたのか、どんな組み方をしていたのか、ほぞはどうやって入れていたのか、ちきりの削り方はどうしていたのか。。
そういう細部にまで今自分が持っている知識と技術を全部埋め込んだ、”ええ機”を残しておけば、その気になればまた作れるようになるだろう。

「私も、そうやって機の勉強をしましたから」
と、穏やかな顔で、山口さんはおっしゃってくださいました。

私は、この時、大げさでもなんでもなく、涙が出てしまいました。もう10年以上も前の話なのに今これをタイピングしながらでさえもちょっとやばいくらいです。

あぁ、技術って、そういうことなんだ。
そのとき、おぼろげながら、そんなことを思いました。
プロダクトと技術の関係って、そういうもんなんだ、とおぼろげながらに思いました。

そして、その後、不勉強なりに、未熟なりに、わからないなりに、染めの事をやるにつれ、山口さんがおっしゃったプロダクトと技術の関係性が少しずつもう少し具体的に形作られていきました。そして、上記のような今の考えに至っています。

 

技術が無いとプロダクトは作れません。ですが、やはり、その存在価値と意義はどちらも、プロダクトに宿っています。プロダクトが消えてしまって、居所が無くなってしまった技術は、とてもかわいそうです。敬意を払って、黄泉に送り届けてあげる方がずっと良いのではないか。
でも、プロダクトさえ存在していれば、技術の復活は可能です。その復活再構成作業はとても大変かもしれませんが、可能です。

やはりプロダクトが重要。そう、思います。

 

すみません、なんか最後はちょっと感傷的になってしまったかもですが、私にとって技術とはそういう存在です。

このあたりでもうやめておいて、次のブログでちゃんと本題のモノづくり論に入りますね。
もう少々お待ちくださいませm(__)m

https://www.tezomeya.com

4件のコメント

  1. 「~技術について」 を興味深く読ませていただきました。高校生のころ生徒会長をしていて、その年の文化祭をやるについて文化ってなんだろうと、みなで議論したことがあります。当時広辞苑があったかどうかわかりませんが、百科事典の説明をもとに話し合った記憶があります。その結果、文化とは人間の生活様式のすべてであろうということになりました。良いことも悪いことも、役に立つことも立たない子とも全部です。人間に悪知恵がある限り良いことと悪いことは両方存在します。役に立たないことを進んですることはあまりないでしょうから、役に立たないことと言ってもその時代には役に立つことだったでしょうし、役に立つことの副作用だったかもしれません。そう考えると誰かが言っていた不倫は文化だというのも分かる気がします。また、宮内庁が日本の歴史だという古事記、日本書紀に出てくる一族の殺し合い、だまし討ち、皇位継承争い、不倫、側室群なども、日本国の文化ではあります。これに対して文明は人間にとって役立つことの歴史と、それに基づく現代のながれ、風潮です。長期的に見た時のが文明で、短期的なものが流行かもしれません。人間に役立つと言っても、その時代には役立っているということで、消えるものは消えてしまっています。
    今度は技術ですが、広辞苑の②の感じですね。科学(サイエンス)に対して技術(インダストリー)は本来違うもので、科学は自然現象を観察して自然法則を見出す学問であり、技術はその自然法則を利用して人間生活に役立てるわざです。科学的発明、発見でも、とりあえず役に立つかどうか解らないものってありますよね。ニュートリノに質量があるかとか、110番目の元素を作ったとか、火星に水があるだろうかとか・・・。科学というものが自然法則の研究をしているということは、神様は何を考えていたのだろうという、純粋な学問的な興味ということになります。科学と技術に関する表現で、特許法第1条では、この法律で発明とは、自然法則を利用した技術的創作の高度のものをいう。とあります。科学的な発明、発見がもとになってそれが役立つ技術にまで発達するのに長い時間がかかったのが普通だったのが、それがだんだん短くなってきているのも事実です。最近の生殖医療などを見ると速すぎて心配です。
    私は昭和32年に大学では通信工学で、卒業してNECに入りましたが、当時は真空管の時代でした。学校ではトランジスタのことは何も教わらずにNECに入ったら半導体事業部に配属され、真空管とは縁がなくなりました。NECにいる30年の間にトランジスタの技術者になりましたが、定年退職するときにはトランジスタはICになり、LSIになり、さらにはソフトウエアが重要技術の世の中になってしまっていました。

    私にとって、草木染は全くの趣味ですが、日常的にはかつての真空管の技術者であったもと東芝、もと日立、もとNHK、もとNECなどの人たちと「電子管史研究会」というのを作って、埋もれかかっている真空管の技術を発掘しています。最初は電気学会の技術史研究会で活動していたのでしたが、電気学会では真空管に関心を持つ人が少ないので、我々だけでやろうということになってしまいました。いま真空管の発明、発展の歴史を記録に残し、各年代の真空管を保存しておかないと、数十年後には知識の継承をする人がいなくなってしまうだろうという危機感があります。

    1. 時田様
      いつも書き込みありがとうございます。
      真空管の保存をされているとのこと、素晴らしいですね。
      当方、宝くじがあたったら手に入れたいものの一つがマッキントッシュの真空管アンプです(笑)。

  2. ネットで何となく草木染め関連を探して読んでいるうちに、いつの間にかtezomeya noteをたくさん見ていました。その書きっぷりとコメントから、これを書いているいる人はただ者ではないなと思っていながら、どんな人かわからなかったのでしたが、最近になって「ものづくり論」を読んで、おしまいのところに青木正明さんの名前が出てきたので、ネットの人名検索でプロフィールが分かりました。なるほど、こういう人が本気でやっているんだ。「ものづくり論」では信念が通っていることに感動しました。ネットで見られる草木染の経験談は見様見真似の報告が多い中で、tezomeya noteからはたくさんのことが理解できたことの理由がよく分かりました。私は高校時代に化学が好きだったのでしたが、地元の長野市の信州大学工学部には当時は化学科がなく、医学部は松本市でしたから、工学部の通信工学科に進んだのでしたが、草花の自然界の色素と媒染剤の神秘さに魅せられて、図書館で読む本を頼りに見様見真似で草木染をやっていました。高校時代にはまだ化学の知識が不足でしたから、媒染材は本に書いてある通りの実験だけでしたが、大学では勉強が忙しく、卒業してNECに入ってからは仕事に熱中して、草木染はずっとお休みになっていました。定年になってやっと時間ができて、また草木染を始めました。改めて草木染の奥深さに敬意を払っています。でもまだ駆け出しで、今はとにかくテストピースでデータの蓄積ばかりですが、定年後20年以上たっていても、昔のデータがオチだらけで反省しきりです。古いデータでは明礬としか書いてなくて、生明礬であったか焼き明礬であったか、これではいくら重量を正確にしてもだめですね。高校時代に写真の趣味もあって、フィルムの微粒子現像に凝っていて、現像液を作るときに炭酸ソーダや亜硫酸ソーダが無水であるかどうかに神経を使っていたのに、明礬としか記録してなかったのはとんだ不注意でした。これからもいろいろご指導いただければ嬉しいです。

    1. 時田様
      書き込みありがとうございます。
      高校時代から草木染めにご興味がおありだったとのこと、素晴らしいです。
      当方は脱サラして35歳からの遅いスタートだったこともあり、今でもわからないことだらけです。
      こちらこそまた是非いろいろと教えて頂ければ嬉しいです。

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