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カンボジアの染織取材番外編 ~驚くべき建造物アンコールワット

カンボジアの染織取材番外編 ~驚くべき建造物アンコールワット

 

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せっかくシェムリアップに来たのだから、ちゃんとアンコールワットを見物したいですね、と同行の北川さんと話しが合って、カンボジア滞在最終日に1日使って現地ガイドをお願いしてアンコールワットを見物してきたのですが、これがもう恐ろしく凄い、の一言でした。

染織とは全く関係がないのですが、カンボジアを語る上で無視のできない歴史的建造物アンコールワット取材を、建築と歴史に関しては全くのど素人から報告して、今回のカンボジア染織取材の締めくくりとさせて頂きます。

 

クメール語でアンコール(angkor)は都、ワット(wat)は寺院を意味することから、言ってみれば「都の寺院」であるアンコールワット。近隣に点在する他の寺院や建造遺跡と共に「アンコール遺跡」として世界遺産に登録されているこの寺院は、毎年200万人以上の観光客が海外から訪れる世界屈指のランドマークです。

アンコールワットの位置する都市シェムリアップはいわゆる古都です。現在のカンボジアの首都はプノンペンですが、今のカンボジアの母体となるクメール王朝が9~13世紀まで首都として栄えていたのがこのシェムリアップでして、特に王の権力が絶大だったと言われる10~12世紀の間に多くの素晴らしい寺院が建設されたようです。

アンコールワットは12世紀前半に、スーリヤヴァルマン2世によって何十年も費やして建設されたと言われています。それでも未完成の部分があり、明らかに作業中とわかるような遺物も実際に見学できます。

クメール王朝の時代にはアンコールワットをはじめ素晴らしい寺院がいくつも建設されたのですが、それは、代々の王様が自分の権力を見せつけるためだったそうです。
クメール王朝の王位継承は、すんなりいったケースが稀で、多くは戦いによって勝ち取ったもの。王が死んだり王の力が弱まると、そのたびに血肉を争う戦いが起こり、新たな王が生まれる、という繰り返しだったようです。
そのため、王様はそれぞれ毎回自分の力を見せつけねばならず、そのプロパガンダにどの王様も盛大な寺院を建築したとのこと。その中でもアンコールワットはとびぬけた建造物だった様です。

 

・・・長話が過ぎました。
それでは、画像と共にアンコールワットを紹介しますね。

さあ、アンコールワットに入廷です。現地名物ガイドのローズさんの勧めで、空いている裏門から入りました。

ローズさんのおすすめ通り誰も居ません。おかげで、じっくりと裏門を観察することができました。

浮き彫り彫刻(レリーフ)が施された柱を見つけました。

このような細緻なレリーフがいくつかあります。しかし、どちらかというと、作りかけの部分のほうがたくさんありました。
これです。

ランダムなヨコ段の彫柄はガイドさんによると下彫りとのこと。ここからレリーフを作っていくのだそうです。この裏門の柱や壁は、多くがこのランダムヨコ段柄ばかりでした。

 

門全体を支える柱のひとつです。

このつくりが地味にすごいです。
手前のタテの柱にヨコの梁が乗って、その上にまたタテの柱が乗り天井を支えに行っていますが、よく見るとヨコの梁は右奥のタテの柱と一体でばかでかいL字型の石なんです。そのLの曲がり角をうまく削り、他の梁の石が乗っかるようにしています。
こんな構造があちらこちらにあり、そのすべてがきれいに同じ平面水準を作っているとのこと。
ガイドのローズさんは大学で石造建築を学んでおり、彼の解説によると、この、成形されたおおきな石材を使うことで、崩れにくくなっているようです。ただ、違う形状に加工された石を使って均一な平面水準を作ることはこの時代大変難しかったはずで、アンコールワットの凄さは、この一糸乱れぬ設計と計算によって精密に行われた石積みだそうです。

これは門内の天井です。

両側から1m大の石をアーチ状に積んでいます。崩れないためには、中心線からみて左右の石の重さと位置が同じでないと、応力が左右に均等に分散されずいつか崩れてしまいます。少なくとも900年は崩れない精度の高い設計がなされている、ということですね。
この天井を支えているのが、4つのさきほどの柱構造です。とにかく、すごい、の一言です。

ガイドのローズさんの解説のおかげもあり、しょっぱなからアンコールワットの凄さに圧倒されてしまいました。彼が人気のいない裏門からの鑑賞を薦めたのは、この為だったのでしょう。

 

さぁ、中にどんどん入っていきます。
やっとアンコールワット本体の建物に到着です。
ただ、有名な表からではありません。これは裏側からの画像です。

 

まず第一回廊に入ります。
この先が有名な「乳海撹拌」のレリーフがある回廊です。

この写真を見ればお分かりと思いますが、左側の柱、石廊、右の壁、天井、すべて極めて整然と作られています。すべての回廊がこんな感じで、まっすぐなものは果てしなくまっすぐに、直角は寸分たがわず直角に、柱の間隔はすべからく均等に配置されています。

これは乳海撹拌の主役、ヴィシュヌです。

言い忘れましたが、アンコールワットはヒンドゥー教の寺院です。クメール王朝ではヒンドゥー教と仏教がコロコロ入れ替わるのですが、アンコールワットを作ったスーリヤヴァルマン2世はヴィシュヌを篤く信奉するヒンドゥー教徒でした。
この乳海撹拌はヒンドゥー教版「天地創造」です。乳海撹拌のお話し自体とても面白いのですがここでは割愛しまして簡単に状況解説を。

ヴィシュヌの手下(実は分身)の大亀クールマが下に、その上にマンダラ山という大きな山を置き、その山にヴァースキという八頭の大蛇を巻いてしっぽ側を神たちが、アタマ側をアスラという鬼族が受け持ち、協力して引っ張り合い、マンダラ山をぐるぐる回して大海を撹拌するというお話しです。ヴィシュヌは真ん中でオーエスオーエスと応援してるだけです(笑)。

このレリーフの中心がヴィシュヌ、左が神側、右がアスラ側ですね。どちらもヴィシュヌを見ながらヴァースキの胴体を引っ張っています。この神とアスラがこの左右ずっと後ろまで延々とレリーフで描かれており、回廊の壁全体を覆っています。神側にはハヌマーンなどの有名な神様もいました。
そして、このレリーフ、とっても精巧でした。素晴らしいです。

 

回廊の頭上に1枚だけ木彫りの天井が置かれていました。

これはもちろん復元です。現在は屋根を組む石積みが、回廊からそのまま見えてしまいますが、往時はこのように全て木彫りで覆われていて天井を作っていたとのこと。
この天井に限らず、木造のものは全く残っていません。高温多湿のカンボジアでは木材が永く形をとどめることが適わず、古来このことを身に染みていたクメール人は、世代を超えて遺すものは例外なく全て石造でした。
高温多湿の過酷なこの地の環境が驚くべき石造建築技術を育んだのかもしれません。

 

これは回廊の柱に彫られていたレリーフです。

レリーフ(薄浮彫)とは思えないくらいの立体感です。ここアンコールワットで細工に使われる石材は全て砂岩という比較的柔らかい石なので彫りやすいと言えば彫りやすいのですが、それでもこんな葉っぱが浮き出てるような彫は大変難しいとのこと。しかも、浮き出る部位が隣接しています。彫刻刀の形状から工夫しないと無理でしょう。

これを見た後にふと気づいてガイドのローズに
「もしかして裏門で見た、きれいだな、って言ってたレリーフってまだ製作途上だったの?」
と聞くと、おそらくそうだろう、とのこと。
このブログでも2枚目に挙げている画像のレリーフです。
なるほど。裏門は全てが製作途上だったようです。
聞いたときに彼がニヤニヤしていた理由もやっとわかりました(彼はダジャレを連発するほどの日本語通)。
そして、本館のほうにはこんなレリーフがあちこちにシレっと彫られているのです。すごいです・・・。

 

これは回廊の窓です。このように窓には可愛い石柱が7本据えられています。

この「7」には意味があります。
一番左は12月を、次は1月と11月を、次は2月と10月を、真ん中の柱は3月と9月を、次は4月と8月を次は5月と7月を、一番右は6月を意味しています。
おわかりですか?
そう、この柱によってできる影が、或る位置を示すことで日照時間の移り変わりがわかるようになっているのです。
全ての窓がこの「月暦」の機能を備えているかどうかはわかりませんが、7本という数はそういう意味だそうで、この時代、日照時間の移り変わりとそこから推測できる雨季と乾季の予想は人々の生活に直接かかわる重大事だったのでしょう。

画像は無いのですが、別の遺跡(アンコールトム内)の池には水位計が付いていました。池の水量で季節を類推し、どの程度水をためるのかの指標にしていたとのこと。
どちらも、観天望気に頼るしかなかったこの時代での明らかな「気象学」ですよね、これらは。素晴らしいです。

 

これは第二回廊の中庭です。

かつてはこの中庭全て水を湛えていたとのこと。
その証拠に水位を調節するためと思われる水栓穴があります。

 

そして、やはり窓はすべて7本の柱を携え、

 

中庭に向かってきれいな女神たちが何体も何体も彫られています。

ガイドさんの説明によると、これら体をくねらせた女神やもやもやした柱たちが中庭の水面に映り、さらにもやもやゆらゆらロマンチックに、そして神々しく揺れていたのではないか、とのこと。
その光景、是非観てみたかったです。もう無理ですけど。

 

もう一度足元の石に目を向けると、全ての石にこのような穴が2個イチであります。

これは、石材を運ぶためのもの。ここに木の棒を入れて、数人で運んだのだろうとのことです。
そして、この画像に限らず石の隙間がどこもきれいに閉じています。いろいろな形の石をここまできっちり並べるのは至難の業でしょう。

 

第三回廊に上ると、そこにもまた中庭が。

ここもまた昔は水がはられていたとのこと。
ここはもう地上から30m以上。天空の池です。

 

ここ第三回廊にもたくさんの女神が彫られているのですが、布部分をよく見てみて下さい。

そう、柄が彫られているのです。おそらく絣や絞りによる柄ではないかと思うのですが、とてもきれいです。

こちらも。

それぞれ少しずつ違う柄です。
この時代既にバリエーション豊かな染織柄が高貴な人々の身を包んでいたのでしょう。絣や絞り柄が施された布を想像しながら勝手にニヤニヤしてしまっていました。

 

第三回廊から見上げた塔です。

須弥山をイメージしているとも、蓮のつぼみをイメージしているとも言われているそうです。両方なのかもしれません。
この塔は正方形を成している第三回廊すべての4角、そして中心の計5つそびえています。よくアンコールワットの写真を見るとこのページのトップの画像のように塔が3つですが、それは中心の最も高い塔と2つの角にある塔しか映らないからなのですね。よく見ると、後ろの2画の塔の頭だけが小さく映っている写真もあります。

 

これは第二回廊に降りてから見たレリーフです。

なんと彩色跡がありました。

また、漆をご専門とされている北川さんによるとこれは漆塗りの跡とのことです。

アンコールワットのレリーフたちは、私たちが今思っているよりもずっとカラフルで更にバリエーションに富んだ顔を見せてくれていたのかもしれません。

 

これは第二回廊の床の石組の境目です。

すごいです。もう全然石の隙間がありません。

そしてこれは柱で見つけた石と石の継ぎ目ですが・・・

もうただのうっすらしたヨコ線にしか見えません。
接着面同士をものすごく平たくして乗せて、側面を削るのでしょうけど、驚愕の精度の高さです。こんな構造物が当たり前のようにそこかしこにあるのです。石造建築は全くの素人ですが、1000年近く前にこんなことをしていたクメール人、恐るべしです。

 

ちなみに、これはアンコールワットと同じくアンコール遺跡のひとつとして世界遺産になっているバイヨン寺院のレリーフの石組です。

バイヨン寺院はジャヤーヴァルマン7世が12世紀末から建造に着手したと言われている寺院です。
決してバイヨン寺院をけなしているわけではありません。バイヨンのレリーフや有名な人面像は素晴らしいものです。現物を見てとても好きになりました。
そうではなく、バイヨン寺院よりも50年以上も前のアンコールワットの石組が超絶過ぎるのです。

後世での王様の評価としてはジャヤーヴァルマン7世の方が高いようですが(というかジャヤーヴァルマン7世はカンボジア史上最も敬われている王様です)、こと寺院建築の熱情に関してはスーリヤヴァルマン2世に軍配が上がるようです。

 

これは、第二回廊の柱です。

これ、構造としてはこのブログの最初の方で紹介した裏門の柱と同じなのですが、ちゃんと化粧彫りが施され、継ぎ目がきれいに目立たなくされていてもうどこがつながっていてどこで積まれているのか、解説してもらわないとわからないです。
裏門も本来はこんな風になる予定だったのでしょうね。

 

このほかにもたくさん画像があるのですが、話が終わらないのでこの辺にしておきます。
見るもの見るものため息と感嘆の連続でした。世界一の石造建築と言われ続けているのが本当に良くわかりました。
そして、その理解の最大のアシストがガイドのローズさんでした。改めて、ガイドの質は本当に重要だな、とも思いました。ローズさん、ありがとうございました。

今回は割愛しますが他にも見学させてもらったバイヨン寺院やバプーオン寺院などで構成されるアンコールトム、そしてこのアンコールワットを含めたアンコール遺跡は、そのためだけにカンボジアを訪れてもおつりが返ってくる遺跡だと感じました。
こんな、ついでに来る場所じゃなよな、と。

そして、これらのプロダクトを見るにつれ、クメール文化の質・量の高さをいやおうなく見せつけられました。
現在、カンボジアは長い紛争を経て好景気とのこと。彼らの底ヂカラは1000年以上前からずっと蓄えられているのだろうと思います。今回のカンボジア訪問ではそのパワーの片鱗を様々なところで感じましたが、この遺跡でその大元を知ることができた、と個人的に思いました。

畏るべきクメール文化、畏るべきアンコールワットです。

 

最後に、バイヨン寺院にある117個の人面像の中で一番好きだった顔を紹介して締めくくります。
このお顔、本当にラブリーでした。

アンコール遺跡、また必ず伺います。

 

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